2021-10-04

星名秦先生の理論と岡仁詩先生の理論 6

  私は同志社大学を卒業してからは、社会人の強豪チームでラグビーをしませんでした。

 岡仁詩(Oka Hitosi)先生は私に「夏合宿には必ずコーチとしてくるように」と言われました。東京に勤務した私は先生との約束通り、約20年間、毎夏2週間ほどの夏休みを取り、合宿にコーチとして参加しました。



 岡先生は「たかがラグビー、されどラグビー、俺はラグビーに命をかける」と、言われて、ラグビーにかける思いを私に話をされていました。

 そして岡先生ラグビーとはフォワードのことだと思えるほど、フォワードの強化には執念を燃やしておられました。


岡先生は星名先生の教えを受けているので、 当然同じ考え方だが、 星名先生はバックスのセ ンターであり、 岡先生はフォワードのフランカーであるので、 岡先生の方がフォワードへの思い込 みが感じられた。


岡先生のラグビーの戦略的な発想の根本にあるのは 「ラグビーはFW戦に勝たなければ試合 に勝つことはできない」 と言うものである。 特にNHK杯、 日本選手権で優勝した時代にはスクラム へのこだわりが大きかった。

岡先生が同志社大学のラグビーを率いて、 最初に日本1になったのはNHK杯で優勝した時で ある。 当時はまだ日本選手権というものはなく、社会人の1位と学生の1位がNHK杯を争うことで 日本一を決めていた。 岡先生が率いる同志社大学は1962年にNHK杯を獲得し、 1964年には NHK杯が日本選手権と変わり、 その第1回で優勝した。

当時は圧倒的にFW重視のチームで、 特にスクラムへのこだわりがすごかった。 当時の人に話 を聞くと、「スクラムは組んで押すものではなく、組んで走るもの」と言っていた人がいるくらいであ る。

そして実際の試合で、 スクラムを組んで、押して歩き、最後はそのまま組んだまま走りだし、相 手のフッカー (スクラムの最前列の真ん中の選手)がボールと一緒に転がり出てきた」との逸話も。


さほど大きくない同志社のフォワードがこのようにスクラムで他を圧倒した理由は?



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