最近のラグビーのファンの方では聞いたことがない、もしかしたら60歳以上の人でラグビー経験者だと知っているかもしれない、二人のラグビーの名選手のラグビーに対する考え方です。
同志社大学のラグビーが最盛期の頃、林、大八木、平尾などで大学選手権3連覇をした頃の同志社のラグビーの基礎となる考え方を構築したお二人が星名秦先生、岡仁詩先生です。
まず星名先生について書いてみます。
星名先生の略歴(ウィキペでイアより抜粋、加筆)です。
米国テキサス州ヒューストンで生まれ、現在の京都、洛北高校、京都大学工学部出身で、ラグビー部に所属していた。1928年に京都大学ラグビー部が東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦で早稲田大学を破って、全国制覇したときのキャプテン。ポジションはCTBで、たくみなサイドステップやカット・スルーで活躍した。
5種競技でもアジア大会で優勝した。
1928年大学卒業後は南満州鉄道に技術者として勤務、1947年に満州から帰国、その後は同志社大学工学部の教授となり、同大学ラグビー部を指導した。当時の教え子に元日本代表監督岡仁詩などがいる。1960年に京都大学ラグビー部の監督に就任。京都大学ラグビー部元監督の市口順亮など、多くの名選手を育てた。
星名のラグビー理論は、「星名ラグビー」と呼ばれ、オーストラリアやニュージーランドなどの最先端のラグビー理論の原著を自ら翻訳し、積極的に取り入れて日本のラグビーを一気に近代化させた。その理論は教え子である岡や市口だけでなく、早稲田大学の名将、大西鉄之祐など、ラグビーの黄金期を支える世代に大きな影響を与え、日本の近代ラグビーの発展に貢献した。
星名理論の凄さを知るためには1960年代の時代背景を知る必要があると思います。私が星名先生と出会い、星名理論を教えて頂いたのが1965年大学2年生の春の時でした。
この頃はテレビもまだ白黒が主流でビデオなどもあまり普及していなくて、海外の情報もほとんどない時代でした。円の為替レートも固定で1ドル360円の時代で、大馬鹿者の私はニュージーランドがどこにあるかも知りませんでした。
当時、ラグビー界で話題になっていたのはニュージーランドの戦法でアップ・アンド・アンダーと呼ばれるもので、スタンドオフで高いキックをフォワードの前に上げ、それを走り込んで勢いをつけて倒し、ボールを確保すると言うものでした。パスは後ろにしなければならないラグビーのルールの中では、バックスにパスをするのはハーフからスタンドオフへの一回だけで、フォワードが後ろに走る場面を極端に少なくする確実な戦略でした。そして、バックスは深い(相手から遠い)アタックラインで足の速いウイングまで回して勝負すると言うものでした。
このような時代背景の中で、星名先生は外国のラグビーの文献を読みあさり、それまでの常識とは真逆の、天動説の時代に地動説を説くような、極端に浅い(相手に近い)アタックラインを考え出されました。しかし、あまりに革新すぎるので、実践できたのは京大と同志社では私だけでした。私の知る限り、半世紀以上経った今も、実践しているチームや選手も見当たりません。
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