2024-09-20

岡先生について

 岡先生の略歴(ウィキペでイアより抜粋、加筆)です。


 岡 仁詩(おか ひとし、1929年11月10日 - 2007年5月11日)は、元ラグビー日本代表監督。同志社大学ラグビー部元監督、同大名誉教授。1959年に同大ラグビー部監督に就任。1962年に日本選手権の前身、第2回NHK杯で優勝。1964年の第1回日本選手権も制した。

 1973年にラグビー部で部員事故死があり監督を辞任。3年後に復帰した。その後、大学選手権は、林敏之が在籍した1980年に、大学選手権初優勝、その後大八木淳史・平尾誠二らが1982年〜1984年度に史上初の3連覇を果たした。このほか、日本代表監督も1972年をはじめ数度を歴任。日本ラグビーフットボール協会強化委員長も務めた。

 岡先生が同志社大学の選手の頃、その時は星名先生が同志社大学の教授でラグビーを指導されていました。その頃から星名教授のことを「星名先生」と呼んでおられたようです。私が同志社大学に入って星名先生にお会いした時にはもう同志社大学の学長になられておられ、岡先生は教授でした。
 岡先生が星名学長のことを「星名先生」と呼んでいるのに、私たちが岡先生のことを「岡教授」と呼ぶのはおかしいので、その頃の選手は全員、星名学長のことを星名先生と呼び、岡教授のことを岡先生と呼んでいました。
 今でもその時の癖が残っていて、星名先生、岡先生と書いています。

 社会人の強豪チームでラグビーをしなかった私がマーケティングの仕事につく後押しをしてくれたのは星名先生です。そしてその私に岡先生は「夏合宿だけは必ずコーチに来るように」と言われました。そして私はIT業界に転職するまで約20年間、8月の後半に2週間休みをとり、ラグビー部の合宿に臨時コーチとして参加しました。

 その間1年だけ、夏合宿に参加しない時がありました。部員の死亡事故で岡先生が監督を辞任された時です。その時の夏休みに東京外国語大学の夏合宿に参加して、星名先生と岡先生のラグビー理論の凄さを体験することになりました。
 星名先生と岡先生のラグビー理論の凄さは選手としては教えられ、実践してきて理解はしていたものの、無口で表現能力のない私はそれを論理的に説明したり、教える能力に欠けていました。

 岡先生が永眠され、岡先生の理論をOB会に寄稿する段階で、初めて教えていただいたことが体系的に、論理的に理解できるようになり、またブログを書いているうちに、両先生の理論の凄さを再認識するようになりました。

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