星名先生の理論と岡先生の理論 11−20(時系列)

星名理論と岡理論 11  星名理論のディフェンスへの応用

 星名理論のディフェンスへの応用

 体重の軽い自分はセンターで相手がトップスピードで走ってくれば、待ってタックルをするのが苦手である。そのために相手がトップスピードになる前に相手以上のスピードでタックルをすることを心がけた。

 当時(多分今でも)タックルラインをアタックする側が決めると言う発想の選手はいなくて、ほとんどの選手はタックルラインを無意識に意識してスタートしているので、私がディフェンスで想定できるタックルポイントへ、最短距離をトップスピードで走っていくと、少しスピードを殺して受けるポイントを後ろにするか、もしくは横へはずそうとした。

飛び出すディフェンス1

 そのため私より大きな相手にも当り負けすることもなく、また相手が前に走ってこないのでタックルラインを相手側に押し込む事になり、もしタックルをはずされたとしても、次のカバーディフェンスが前に走りながらのタックルが可能である。

 当時デイフェンスラインは横一線に揃えて出るのが常識だったが、私はあえて常識を無視し、直線的にまっすぐに想定できるタックルポイントへ全力で飛び出した。この私の無茶苦茶な飛び出しは相手にプレッシャーとなり、相手のアタックは通常より、前に出るのを抑える結果となった。

 その結果、味方のフォワードは前に走ることが可能になった。
 バックスの最も重要な役割は味方のフォワードを前に走らせることである。
 スクラム、ラインアウト、ラックなど最前列で味方にボールを提供したフォワードはボールが後ろにパスをされて進むので、自分自身では前に向かって走ることはできない。


星名理論と岡理論 12  星名理論のラックでの応用

後ろに向かって走って突破

星名理論 ラックでの応用.
 星名理論はスクラムだけではなく、ラックでも応用できた。スクラムでは5メートルルールがあり、スクラムの最後尾より5メートルの距離を置かなければならないが、ラックの場合ラックの最後尾からディフェンスが出ることが可能である。

 普通はディフェンスラインがスクラムより5メートル前からスタートするので、ラックの場合、アタックはスクラムより少し後ろにアタックラインを引くのが常識と考えていました。
 私はラックでSO(スタンドオフ)がラックに巻き込まれたり、立ち位置に戻るのが遅れたりした場合、わざと、スクラムハーフのほぼ真横に立ち、マークの選手の少し内側で、ほぼ真横にパスをもらった。

 そしてマークの選手の真横(90度の角度)へ、走って交わした。図面で見るように少し後ろに向かって走ることになる。そしてマークの選手の横に出て、それから前に向かって走るようにした。

 これほど浅い位置で突破すると、ほとんどのカバーディフェンスは間に合わない。この位置で突破した場合はほとんどトライに結びついた。
 ここでも私は、アタックも常識である、前に向かって走るとことと、全く逆の後ろに向かって走ったことになる。

 結果的にはトライに結びつき、私の判断が非難されることはなかったが、卒業して50年近くなって、同期のセンターの石塚からは「お前みたいに、後ろに向かって走ってくるやつに、どうしたらええのか、分かる訳ないやろ」と文句を言われました。

 ラグビーはなかなか常識では考えられないことが多いみたいです。


星名理論と岡理論 13 岡先生の指導方針 個性を伸ばす。

岡先生に一度だけ怒られた京都市役所戦

形のないのが同志社の形
    
 私は常識はずれのプレーばかりしていました。でも岡先生はそれをほとんど放置していました。
 私は同志社大学の時、岡先生から怒られたことは一度だけです。
 4年生の春、京都市役所との練習試合があり、レフリーは岡先生自ら笛を吹かれました。その頃の京都市役所のラグビーは強くて、同志社からも良い選手がたくさん行っていました。試合が始まって20分位、京都市役所の一方的なペースで進んでいました。

 私はディフェンスにも自信を持っていたのですが、相手には私の事をよく知っている先輩が多く、私のマークの選手にはボールを持たせません。FWも圧倒されていたのでアタックも良いボールが回ってきません。ボールを持つ機会があったのですが、大きく突破するのは無理だと思ったので、内に入ってFWの選手にボールを戻しました。

 突然、岡先生が「浦、痛いラグビーはやらんのか」と言って怒り、試合を止めて、両チーム見ている前で、私に生タックルの練習をさせました。この瞬間頭が真っ白になり、寒気がして体が震えたのを覚えています。

 ゲームが再開されたのですが、相変わらず私の対面がボールを持つ機会がなく、タックルもできません。どうしてもこの怒りをタックルで相手にぶつけたい私は、私の隣の選手の対面にタックルすることにしました。その選手は同志社大学の2年先輩で私が1年生の時、一緒にセンターを組んでいた人でした。

 その人の動きはよく分かっていたのでボールを持って走っていくコースが予測できたので、そこに向かって最短距離を全力で走って行き、加速をつけて思い切りタックルしました。こんな激しいタックルをしたのは初めてのことだと思います。

 この時のタックルを受けた先輩と、私が卒業してから数年後、話をする機会がありました。

 「少し早いけど、引退する。お前の所為や。首がおかしくなった。ムチウチは後ろからぶつかられて、頭だけが残って、身体が前に動いて首を痛めるけど、全く逆で、前からぶつかられて、身体だけが後ろに持っていかれて、首がおかしくなった。痛みは大した事はない。自分の対面の動きは見えていたが、まさかその外側のお前があんなに早くタックルに来るとは思わなかった。それがトラウマの様になり、前に思い切って出ることが出来なくなり、思うようなプレイが出来なくなった」

 勿論私を非難する様な口調ではなく、褒めてくれている様子でした。

 京都市役所との試合の数日後岡先生から呼ばれその時の話をされました。「お前が悪くなかったのはよくわかっている。しかし、試合の流れを変えるのには無茶をやることが必要だった。俺は上級生しかあんな怒り方はしない。お前の同期はみんな性格のおとなしい奴ばかりで、俺が怒るとみんなシュンとして落ち込んでしまう。怒られて気が狂ったようになって無茶をするのはお前しかいない。お前のタックルで流れが変わって勝つことができた。今後も怒られ役になって欲しい」との事でした。

 怒られなければ、あんな無茶な事はしなかった事が自分でも分かっていたので不承不承了解しました。でも、先生は私に内在している狂気の激しさを感じ取ったのか、二度とあのような怒り方をすることはありませんでした。

 私は自分より力の上の相手や、悪い試合の流れを断ち切るには、通常の判断ではなく、狂気のような、大胆な慣習にとらわれない発想が必要だと教えられました。

  お陰で、秋の京都市役所戦には5年ぶりに勝つ事が出来ました。

 岡先生の岡先生講演録「教わり、教え、教えられ」はこちらから

星名理論と岡理論 14  タックルで相手を黙らせろ

温厚な岡先生を支えた松尾先輩

 日大のアメフットの危険タックル問題が騒がれたことがありましたが、私も同志社大学4年の時、タックルで相手を黙らせるよう指示を受けたことがあります。
岡先生 セピア1

  娘のまり子さんからもらった岡先生の写真

 指示をしたのは勿論温厚な岡先生ではなく、フォワードのスクラムのコーチとして岡先生を支えた同志社高校の先輩、松尾さんで、また指示もあのような悪質なものではなく、同志社高校の夏合宿でした。

 松尾さんは同志社高校の監督もしていて、夏合宿には私達OBも参加するのがしきたりでした。 午後の練習の前、松尾さんに呼ばれ「今日は試合に出てもらうから」と言われました。一緒のグランドで練習している大学のチームの監督から練習試合を頼まれたそうです。「相手には初心者が多く、試合は負けることはないけど、非常にガラの悪いチームで、監督はサングラスをして竹刀を持って選手をしばきまくってる。選手も不良みたいな風体した奴らばかりで、中には図体のでかいやつもいる。試合が荒れて、うちの選手にけが人が出たら困る。試合が荒れたら、お前を選手として出すから、タックルで相手を黙らせろ」

 松尾さん(故人)は豪快な人でした。40歳近い時、同志社大学の1軍の選手とスクラムをスパイクを履かず、裸足で組んで教えていました。高校生の私達にビールを飲ませたり、スナックバーに連れて行ったりで、今の時代だと大問題になるような人でしたが、大好きな先輩でした。

 「素人をタックルで黙らせるぐらい、私でなくても、もっと若いOBがいるのでは?」と、言ったのですが、「他の奴らは体が大きくて高校生には見えへん。お前なら痩せて細いからユニホームを着たら高校生でも通る」と言うことで試合用のユニホームを持って、「タックルで黙らせるには、どうすれば良いのか?」、と考えながらベンチの横で見ていました。

 でも試合は高校生が荒々しく圧倒して、幸いにも私の出番はありませんでした。

 それから数年後、社会人になり丸紅でラグビーをやらせてもらっている時、タックルで相手を黙らせてしまいました。

 作家の野坂昭如さんがアドリブクラブというラグビーチームを作って素人ラグビーを楽しんでいました。私の友人がそこのメンバーで、ある日丸紅の試合が終わった後、アドリブのゲームでメンバーが足りないかもしれないので、来てくれと頼まれました。友人が車で送り迎えしてくれるというので行くことにしました。でもなんとかメンバーが足りたみたいで、前半は私は見るだけでした。

 後半になって出て欲しいと言われて、バックスでは目立ちすぎるのでFWでということでナンバーエイトをすることにしました。

 モールやラックで目立たないように参加していたのですが、その度パンチを食らったり髪の毛を引っ張られたり、蹴られたりでだんだん頭に血が上ってきました。

 最初は偶然かと思っていたのですが、よく見ると私に仕掛けているのは相手の結構大柄なナンバーエイトで、私が痩せて細く、後半から出てきたので、初心者の選手だと思ったみたいで、私だけを狙っているみたいでした。

 その選手は色々他の選手にうるさく指示をしていたのでラグビーの経験者かもしれません。その選手がスクラムサイドをボールを持って走ってきたので、思い切りタックルに入り、担ぎ上げて地面に投げ捨てました。

 その選手はそのまま退場し、試合は再開されましたが、誰も声を出すことなく急に静かな試合になってしまいました。その時、松尾さんに言われたことを思い出し、「相手を黙らせろ」ということは、こういう事かと納得しました。

 コンタクトスポーツには危険がつきものです。その危険をできるだけ避けるためにルールがあると思っています。

 日大の話を思い出す度、同志社で、岡先生の指導でラグビーをして良かったと思っています。


星名理論と岡理論 15 岡先生の指導方針 型にはめない

枠にはめない、自由な指導方針

 岡先生講演録「教わり、教え、教えられ」では次のように書いておられます。

私が平尾を指導していた時
 岡先生は私が同志社大学の現役の時(昭和40年頃)から、もうこのような指導をされていました。私も岡先生から、「こうしろ」と言われたことはありません。

 例えば、バックスのディフェンスの出方も、色々言われました。最初は今までやってきていた揃って飛び出すディフェンスで、man to man(それぞれのマークに行く)、Zone difence(地域で守備範囲を決める)、またゆっくり揃えて前に出て、外へ押し出すようにして、最後はタッチラインに押し出す、などです。
 
 シーズンになり一つに決めることになり、man to man で、揃って飛び出すディフェンスに決めたのですが、私だけが結果として、これらの約束事を破るようなプレーになってしまいました。 私の飛び出しが異常に早く、いつも私一人が突出して飛び出している状態です。
 
 常識的にはバックスのディフェンスは揃って一線になって出ることになっています。走るスピードは当時のバックスの選手はほとんど同じです。他の人は揃って一線になることに注意が行くあまり、スピードを8割ぐらいに抑えているからです。私は最初からトップスピードでタックルポイントへ走りこみました。その分いつも他の選手より飛び出していたわけです。
 
 私のやり方は全く常識はずれのめちゃくちゃなやり方ですが、でも岡先生はそれを放置していました。多分、私の飛び出しがプレッシャーとなり、相手のバックスが前に出ることを躊躇していたことがわかっていたからだと思います。

 バックスの最も重要な役割は味方のフォワードを前に走らせることです。相手のバックスが前に出ることを躊躇したということは、その分、味方のフォワードは前に向かってカバーディフェンスに走れると言う事です。
 
 常識はずれの私のメチャクチャなプレイを岡先生は叱ることはありませんでした。


星名理論と岡理論 16  常軌では律しがたい

信念と独立心に富み、才気があって常軌では律しがたい

 卒業してから知ったのですが、同志社の学生に求められたのは「信念と独立心に富み、才気があって常軌は律しがたい」ものであったようです。
 そして、私にあったのは最後の「常軌では律しがたい」だけだったようです。

   岡先生の講演録「教わり、教え、教えられ」です。

形のないのが同志社の形

 私は自分のことを普通の常識人だと思っていましたが、他の人から見るとそうではなかったようです。事ラグビーに関する限り、あらゆる常識をぶち破る、常識では考えられない事ばかりしていたようです。ラグビーを少しでも知っている人だと、私はチームプレーからも逸脱した選手だったようです。
 
 星名先生、岡先生と出会い、それはさらに増幅されたようです。例えば、基本はまっすぐ、前に向かって全力で走る、と教えられますが、試合になると私は後ろに向かって走ったり、歩いたりで、他の選手と全く違うプレーを高校の時からしていました。

 私は同志社高校で初めてラグビーを始めましたが、それまではスポーツなど全くしたことがなく、他の選手は全て同志社中学からラグビーをしていたので、全く使い物にならない、15人しか選手がいないのに、ただ一人のポジションを与えてもらえない、補欠の選手でした。
 一応バックスの選手なのですが、フォワードがスクラムの練習をするときには呼ばれて、スクラムを一緒に組んでいました。試合になると15人必要なので、体を壊して練習をしていない3年生のマネージャーが試合に出ていました。

 このような私が3月に日本選手権で優勝した同志社大学に入り、6月から既に1軍でゲームに出してもらえるほど、急成長したのはイメージトレーニングにあります。
 毎日寝る前に1時間ほど、相手をかわすにはどうしたら良いか、どのように走ったら良いか、相手の動きはどうか、などイメージで頭の中に叩き込みました。

 それを試合で実行しただけのことですが、それが普通の人には考えられないほど常識はずれのことだったようです。多分、同志社以外のチームでラグビーをしていたら、ずっと試合に出してもらえなかったと思います。

 何故、このようなプレーをしたのかは次の理由によるものです
 「ラグビーは自由と変化が基本」です。
 
 次回から「自由と変化が基本」のラグビーについて書いてみます。


 星名理論と岡理論 17 ラグビーは自由と変化が基本 1


ラグビーは変化が基本
 私は後ろに向かって走ってからトライをしたり、ボールを持って歩いて、トライを導いたりしたことがあります。タックルを避けるために自分から寝転がったことはありませんが、タックルをしようとした相手に地面に伏せられてタックルを外されたことがあります。

 後ろに向かって走ったのは高校2年生の時、京都の吉祥院グランドでのゲームで、右ウイングをしていて、味方陣22メートルライン辺りのラインアウトから敵のスタンドオフがキックしたボールをゴールポスト前5メートル位で受けました。
 前を見ると相手が3人いて、私一人だったので、このまま前に走るとタックルをされボールを奪われるとトライされると思い、キャリーバックにしようと思い味方のインゴールに逃げ込みました。

 タッチダウンしようと思ってふと見ると相手が1人しか追いかけて来ていなかったので、キャリーバックにするよりタッチキックにした方が良いと思ったのですがこの位置でタッチに蹴りだす自信が無かったので、いつでもタッチダウンできるように、そのまま真横にゴールラインと平行にインゴールの中をタッチ際まで走りました。
 敵も味方も私がタッチに蹴りだすと思っていたので誰も動いていませんでした。そこでキックしようとすると追いかけて来ていた相手が1人だけで、前が空いていたので今度はもっと前に出てキックしようと思い、インゴールから相手陣に向かって走ったら、追いかけて来たのが一人だったので、そのまま相手のゴールまで走りトライしました。


星名理論と岡理論18   ラグビーは自由と変化が基本 2

戦況は刻々と変化、最適のプレーもそれに応じて変わる。

ラグビーは自由で変化が基本1の続きです。


ラグビーは変化が基本
 私は1連のプレーで4個の選択をしました。最初はで相手が3人私に向かってきたので真後ろに走りキャリーバックにすることを選びました。これはこの時点では最適の判断だと思います。インゴールでタッチダウンをしてキャリーバックにすれば5メートル離れた所で相手ボールのスクラムになります。

 インゴールに走りこもうをする私を見た二人が走るのをやめました。それに気づいた私はタッチライン近くから外に蹴り出せば25メートルライン付近のタッチラインを超えた地点で相手ボールのラインアウトになるので、タッチラインの近い所まで走りタッチキックをするの選択に変え、いつでもボールをタッチダウンができるようにゴールラインと平行にインゴールをタッチラインに向けて走りました。これもこの時点では最適の判断だと思います

 追いかけてきた一人の選手も、私が蹴り出す選択をしたと思い、スピードを落としました。 相手選手がスピードを落としたことにより、私の前は誰もいなくなり、私はインゴールで蹴るより、、もっと前に出て蹴る方が良いと判断し、今度はタッチラインと平行に前へ走りことにしました。これもこの時点では最適の判断だと思います。

 敵味方ほとんどの選手が私が蹴り出すだろうと思い、動いていなかったので、前がぽっかりて空いていて、これならトライができると思い、蹴るのをやめてトライをするためにそのまままっすぐ走り、それを見た相手の選手が走り始めましたが、間に合わず、トライをすることが出来ました。

 これは①から④と戦況が変化し、それぞれの場面で私が最適のプレーの選択を繰り返した結果で、①の段階でトライを狙ったら、相手の一人にタックルされて、一人がそのボールを拾い、もう一人にパスすることでトライをされていたことになったと思います。

  この様に30人の選手が入り乱れるラグビーは数秒後には戦況は大きく変化します。その変化に柔軟に即座に対応することが必要です。
 そして制限が少ないので、プレーのオプションは無数にあります。


星名理論と岡理論 19   ラグビーは自由と変化が基本3

ラグビーには自由な発想が必要
 ラグビーは変化が基本
 
   ラグビーは自由で変化が基本2の続きです。

 ボールを持って歩いたのは大学2年の終わり、ニュージーランドに遠征した時です。
 相手陣10メート ル付近で相手ボールのラインアウトのディフェンスで、受けた瞬間タックルに入ろうと思いきり飛び出した所、相手のセンターがノッコン(ボールを前に落とす)したボールが胸に飛び込んで来てすれ違いに相手のラインの裏側にボールを持って出てしまいました。

 前を見るとかなり先にフルバックが一人いただけで右が大きく空いていました。二つのオプションが頭に浮かびました。一つは自分でステップでかわしてトライをする、もう一つは多分フォローにくるであろうFWにパスをしてトライさせる。

 自分でトライする自信はあったのですが、確実にフルバックをかわそうとすると少し手前でステップを切ることになるので、そのときトライは右隅になる。フルバックを私に引きつけてフォローしてくるであろうFWにトライをさせれば中央にトライできる。

 FWにトライをさせようと決めた途端、突然歩くことが頭に浮かびました。その時、まだFWの選手がフォローしてくていることが確認できていなかったので、そのままフルバックに向かって全力で走り続けるとパスをする時に立ち止まってパスをしなくてはならず、全力で走って来る選手に立ち止まってパスをすると、緩いパスでも非常に強く感じてノッコン(前にボールを落とす)になる可能性が強いと思ったからです。

 それで歩きながら後ろを見てフランカーが走って来ているのを確認し、そのフランカーがトップスピードで私のパスが真横で受けられるようになるのを確認し、トップスピードでフルバックの左側に向かって走り、フルバックを十分引きつけて右に来たフランカーにパスをし、フランカーがゴールポスト真下にトライしました。

 普通、後ろに向かって走る、ボールを持って歩いて時間を稼ぐ、寝転がってタックルをかわす、等思い浮かびません。しかし、そうすることが最善のプレーであることが実際にある訳です。
 この様に考えるとラグビーではプレーのオプションは自由なので、無数に考えられます。その無数のオプションの中から唯一無二のプレーを選び実践する訳です。
 
 そしてボールがパスされることにより、次の人にそのオプションの選択はゆだねられます。



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