星名先生の理論と岡先生の理論   61-70 (時系列)

星名理論と岡理論 61 受動的思考から主体的思考へ 3

 ラグビーは制約の少ない自由なスポーツで、変化が常態です。

 ラグビーではボールを持っている選手に対してはルールで禁止されている危険なプレーでない限り前後、左右、どんな位置からでも、激しくタックルすることが可能です。

  逆に、ボールを持っている選手はタッチラインの中であればボールを前にパスする以外はどんな動きをしてもかまいません。タックルを避けるために、パスをしても、キックをしても、後ろに向かって走っても、歩いても、飛び上がっても寝転がってもかまいません。

 楕円形のラグビーボールは地面に転がるとどこにいくか予想がつかず、1チーム15人、両チーム30人の選手が入り乱れて、ぶつかり合い、ボールを奪い合うので、チャンスがピンチに急変したり、変化が常態です。

 ラグビーのルールは何度も変更されてきました。多分、今後も変更されることはないと思われる二つのプレーがあります。スローフォワード(前にパスをすること)とノーボールタックル(ボールの持っていない選手にタックルをすること)の禁止です。

 星名先生はこのノーボールタックルを利用したコペルニクス的転回と言っても良いような、今までの理論と全く真逆な思考を私達に教えてくださいました。

 バックスがアタックでボールをパスをする時には前の方向にパスをすることはできません。後ろの方向にパスをしながら前に進みます。 

 下の図は星名理論のスクラムの時のアタックラインですが、ほぼ真横に並んでいます。 当時はもっと深い(相手のディフェンスから遠い位置)が普通でした。今でもラックの時以外はアタックでこの様な浅い(相手に近い位置)ラインはあまり見かけません。

星名理論の概念図1
 今でもほとんどの選手はアタックとディフェンスの中間点を結んだ想定できるタックルラインの手前でパスを回すことを考えています。 そのため、相手よりできるだけ遠い位置に立ち、スタートした方が簡単にボールをパスすることができます。

 この想定できるタックルラインはディフェンス側の出方で変わってくるもので、ディフェンス側が決めることで、私は相手がゆっくり出てくる時はできるだけ前へ出てパスをする様に心がけていました。 相手に合わせて出るタイミングを決める受動的な思考でした。

 星名先生はこのタックルラインはアタックする側が決められるものだと教えてくれました。主体的な思考でラグビーができる様になりました。

 何故、この様な、想定できるタックルラインをアタック側が決めることが可能なのか? 



星名理論と岡理論 62 受動的思考から主体的思考へ 4
  常識を打ち破る
 
 今でもほとんどの選手はタックルする場所はタックルする側(ディフェンス)が決めると思い込んでいます。常識的にはこれ以外は考えられません。
 
 しかし、ラグビーには、「ボールを持っていない選手にはタックルをしてはいけない」と言う不変のルールがあります。ディフェンスのタックルしようとしている選手が想定していると思われる場所に、もしボールを持たないで走り込めば、タックルされることはありません。

 しかし、もう一つの不変のルール「ボールは前にパスをしてはいけない」があります。

 そのためには内側の選手(SO)より、私(1CTB)が早くスタートしてまず、想定されていたタックルラインを越えて走り込んでおく必要があるので、スクラムからボールが出る前に一番早くスタートして前へ走り出します。
星名理論 概念図 2 新

 相手はまだボールがスクラムの中にあるので、まだスタートできません。
 次にSOがスクラムからボールが出ると同時に前へ走り出します。少し遅れて相手のディフェンスが前へ走り出します。
 SOは思い切り前へ出て、伸びる長いパスを出します。
 私(1CTB)はタックルラインを越えて走り込みますが、対面の選手はそのまま前に走ると私とぶつかることになり、ノーボールタックルで反則となるので、立ち止まって私がボールを受けるのを待つことになります。
 対面の選手が立ち止まった瞬間に横へ思い切り走ります。
 立ち止まっている選手と助走をつけて走り込んでいる私とでは、私の方が有利なので、相手は追いつきません。
 その間に、真っ直ぐ走っていたSOは私より前まで走り込んでいるのでパスはほぼ真横で、前ではないので、スローフォワードにはなりません。
 ボールを受けに前に走り出した私はボールを受けた途端に、もうゲインラインの近くまで走り込んでいます。

 これが星名先生が発案された、私が「極端に浅いアタックライン」と呼んでいたものです。
 もしタックルされたとしても想定されたタックルラインをはるかに越えており、ゲインラインに近いところになり、FWが後ろに向けて走ることはなくなります。

 タックルされる場所はディフェンスではなく、アタックする私が決めていることになります。これ以後、私の考え方は相手の動きに対応する受動的なものから、自分が決めて相手に対応させる主体的な思考に変わりました。

 この時の星名先生とのやりとりは次のとおりです。



星名理論と岡理論 63 受動的思考から主体的思考へ 5

星名理論 1

星名理論1−2
この星名先生とのやりとりは、私には非常に衝撃的で今でもはっきりと覚えています。

 その頃のアタックラインは深いのが常識でした。その中で私はもっとも浅い位置に立ってプレーしていたと自負していました。しかし、それは受動的思考のもとで、相手の出方にスタートするタイミングを合わせるために、浅く立っていました。
 相手が早く飛び出してくれば、少しスタートを遅らせ、相手が少し遅いとみえると早くスタートし、どの地点でどの様に躱すか、イメージトレーニングを繰り返し、プレーのオプションは沢山用意していました。

 星名先生の指示の「スタートの位置がスタンドオフの選手の真横で、更にスタンドオフの選手より先にスタートする」との様なプレイは想像もしたこともないものでした。

 しかし練習ではなかなかうまくいきませんでした。
 ディフェンスの選手が星名先生と私の会話を聞いていて、私の走るコースを予測しで、最初からそのコースへ向けてトップスピードで入ってくるからです。


星名理論と岡理論 64 受動的思考から主体的思考へ 6

初めて主体的思考を経験

 練習ではうまくいかないので、次は試合で試すことにした。中部自衛隊との練習試合があるのでその時に試すことにした。
 ところが試合ではもっと悲惨だった。向かってくる相手にはタックルすることしか考えていない自衛隊のセンターはまったくボールを持っていない私にタックルを繰り返した。
 
 レフリーもボールを持っているスタンドオフより前に走って行く私とまだボールも持っていない私にタックルする自衛隊の選手を見て何か不思議なことが起きているように見ているだけで、何度もノーボールタックルされている私を見ていながら一度も笛を吹かなかった。
 
 レフリーが後輩だったので試合後何故笛を吹かなかったのか聞いてみたら思いもかけない返事が返ってきた。「最初は浦野さんのオブストラクション(SOにタックルしようとしている選手を妨害した)を取ろうと思った。しかしコースが妨害していなかったので吹かなかった」
星名先生一人 
 二人の会話を聞いていた星名先生は、笑いながら「レフリーが理解するのにもう少し時間がかかるかな。誰も見たことがないプレーだから。しかし、これからの日本のラグビーはこうなる。体格で劣り、足の遅い日本のラグビーが世界に対抗していくには、浅いラインで早くアドバンテージラインを突破しなければ、深いところでいくら抜いても足の速い外人のフォワードのバックアップを振り切ることはできない」と言って気にかけている様子はなかった。

 私はスタンドオフの横に立ち、早くスタートして突破するイメージトレーニングを繰り返しました。時には最初からスタンドオフより前に立ち、遅らせてスタートするなど、いろいろなバリエーションでイメージトレーニングを繰り返しました。

 今までのイメージトレーニングとの大きな違いは、突破するポイントを相手の動きに合わせる受動的な思考のものではなく、突破するポイントを自分から決めてそこへ走り込むにはどの様にすべきか、と言う主体的思考のものに変わりました。

 夏の合宿のころからスタンドオフより速くスタートし、横に伸びて受けるという形はある程度マスターできるようになった。
 秋の関西リーグが始まる頃にはもうほとんどマスターし、ほぼ自由に走れるようになった。試合ではSOとのタイミングの取り方に難しさがあったが、タイミングがうまく取れたときにはほとんど抜くことが出来た。そして抜いた後はウイングまでボールが回るとスクラムからでもゴールラインまで届いてしまった。



星名理論と岡理論 65 受動的思考から主体的思考へ 7

 星名先生の主体的思考は私の生き方や仕事の仕方にも影響

 星名先生の教えてくださったタックルされるポイントはアタックする側(タックルされる側)が決めることができると言う考え方は一般の常識とは真逆で、天動説を信じている時に地動説を教えてもらった様な衝撃でした。
 
 敵に合わせて自分の行動を決めるという受動的な思考から、自分の行動に敵に合わせさせると言う、主体的な思考になり、イメージトレーニングを通常のスクラムからのアタックだけでなく、フォローでパスを受ける時、デイフェンスでタックルに入る時、いろいろな場面に展開する様にしました。

 この様なことを続けているうちに、主体的な思考が、仕事のやり方、生き方までに広がってきた様です。もう、自分の環境(常識、しきたり)に合わせるのではなく、自分のやり方に都合の良い様に自分の環境を変えていく、環境創造と言った方が良いほどに、なっていった様な気がします。

 私は働く様になっても、ラグビーの試合に勝ちたい気持ちと同じように、会社の成長に貢献したいという強い気持ちを持っていて、その通りに実行しました。そのやり方が一般的な常識や会社の社風、しきたり、前例と全く違うやり方だけのことで、違法なことは何もしていません。
 
 私が最初に働いた広告業界は、華やかですが、接待が重要視され、営業職には男性しかいない古い業界でした。

 自分の担当の顧客を持って新しく課を作り、課長になった時に、部下は全員営業経験のない者ばかりでした。営業の人間を移動させると言うことはその人の担当していた顧客も移動することになるので、その人がいた課の売上が減ることになるからです。
 でもそれは私の望むところでした。変な営業経験を持っているより、真っ白な若い人の方が育てやすかったからです。

 無口で人付き合いが下手で、酒もタバコもやらず、ゴルフもしない私は広告業界で最も適性のない男でした。それで私の持っていないキャラクターの部下を集めました。
 社内でいつも宴会や飲み会で目立ってた男、営業希望の女性の新入社員等です。

 ラグビーがフォワード戦に勝てないと、試合に勝つことが難しいように、広告業界で接待戦に勝てないと、仕事が取れないのであれば、最強の接待部隊を作ることにしました。
  その最強の接待部隊は素晴らしい仕事をしてくれました。

 この頃の私には星名先生の主体的な思考が、もう信念のようになっていたみたいです。受動的思考も悪いものとは思いませんが、過度になるともう全く役に立たなくなるみたいです。

 最近、気に入ってよく使わせていただいている作家の山崎雅弘先生のツイートです。
山崎、ツイート小
 岡先生の言葉と一緒に使わせてもらっています。
自分で考え、責任を持つ
 岡先生の「教わり教え教えられ」こちらからです。



星名理論と岡理論 66 受動的思考から主体的思考へ 8

フォローでもタックルポイントはアタックが決められる。 
 
 星名先生のアタックする側がタックルライン(ポイント)を自由に決められると言う考え方は私のイメージトレーニングのバリエーションを飛躍的に増加させました。
 星名先生は当時、京都大学も教えたり、仕事も非常にお忙しい時期のようで、私が星名先生のイメージ通り動けるようになると、私と直接話をされることは無くなりました。

 以後は私が勝手に色々なバリエーションをイメージトレーニングで作り上げたものです。

 例えば、アタックでボールがウイングまで回り、私がフォローをしてウイングからリターンパスを受ける時も、主体的な思考で、カバーディフェンスのタックルするポイントを自分の好きな場所に変えることもイメージできるようになりました。

 主体的思考はスクラムなどのセットされた状態だけでなく、ラックでもフォローでもディフェンスでも、あらゆる場面で適応できるからです。
 
 タックルポイントをアタックする側の自分が自由に決めることができると言うことは、間合も自分が自由に決めることが出来ると言うことであり、従って自分の走るスペースも自分で決められると言うことです。 
 
 例えば、ウイングの内側にフォローしてボールをもらう場合なども、ある程度のレベルのチームとの試合になると、ボールを持って走っている選手がいるとその次にボールを受けるであろう選手に対してももう既にカバーディフェンスのマークがいて、ボールを受けた瞬間にタックルをしようとタイミングを計って走ってきています。

 例えば、下の図の赤丸のポイントへ走り込んでボールをもらいたい場合、そこへ最初から走りこめば受けた瞬間にタックルされます。

星奈理論 概念図 3

 ボールを持っていない時に、下の図の青丸の位置に向かって走ることにより、相手の選手はスピードを落とさなければ私とぶつかり、ノーボールタックルとなるため、スピードを落として私がボールを受けるのを待とうとした瞬間に、こちらがスピードを上げ、赤丸のポジションに走りこむことにより、自分が走るスペースを十分に確保してボールをもらうことが出来、受けた瞬間にタックルをされることがなくなるので、次のプレーに備える時間が稼げることができます。
奈理論 概念図 4
 レベルが高くなればなるほど選手間の攻守の技量の差は少なくなりミスも少なくなるので、ほとんどのプレーは予測できることになり、ボールを持って走れる時間が短くなり、一人がボールを持って走る時間が長くなればなるほど防御側が次のパスへの対応を組みなおしてくると考えるべきです。





星名理論と岡理論 67 受動的思考から主体的思考へ 9 

最強の接待部隊 (星名理論と岡理論 65 の続きです)

 私が最初に働いた広告業界は接待が重要な仕事でした。岡先生がラグビーはフォワード戦に勝てなければ、試合に勝つことはできない」と考えたように、私は「接待戦に勝てなければ、仕事をとることができない」と思いました。

 この頃の私は星名先生の主体的思考になっており、環境に合わせるのでなく、環境を作り替える様な考え方になっていました。仕事が取りやすくなる環境、すなわち接待費が自由に使える環境を作るべきだと考えました。

 当時の社内規則では到底接待戦に勝てるようなものではありませんでした。各営業に割り当てられる接待費の予算は会社の資本金に対応した累進課税で安い税率の範囲内(今の税法がどうか知りませんが)の金額を各営業課に均等に割り振ったもので、これは公平なものでした。

 しかし、それは接待戦に勝つために十分なものではありませんでした。この範囲内では稟議書の必要もなく、課長の決済で好きに使う事ができるのですが、多くの課では接待はあまりせず、仲間内の飲み食いに使っていたようです。

 私は部下には「接待は回数を減らし、超一流の所だけにしろ。近所の安い店は絶対やめろ。社内接待はしないから、仲間内で行く時にはできるだけ安いところに行け」と伝えていました。そして接待費の予算の増額を会社と交渉しました。

 私は自分の課は利益率が非常に良く、会社の目標の利益率を大きく上回っていたので、経理と交渉し、この目標の利益率の範囲で予算を超えた接待費は、累進課税での高率の税額を加算し、社内的には、原価として課の利益から差し引くように交渉しました。

 経理課長は私の数少ない理解者で「お前の課の領収書は一目でわかる。他の課と桁が違う。安い領収書が一枚もない。本当に接待の為に使っていることがすぐわかる」とのことで了承してもらいました。

 部下には、新入社員の女性にも「顧客の会社に行く時には会社の代表で行くのだから、今進行中の仕事はあらかじめ予測して、値引きの要請があったら、その場で受注額を決めろ。赤字になっても構わない。接待も今した方が良いと思ったら、その場で決めろ。上限は決めないから一流のところへ行け、俺の同席や許可は必要ない」

 一般企業相手には接待は違法ではないので、回数を減らして、超一流の接待を心がけましたが、官庁相手には違法になる可能性が高いので、一度も接待はしませんでした。

 接待の極め付けは京都の祇園でした。私は大学の時、高校からのラグビーの同期の伊藤(同志社が初めて大学選手権で優勝した時の監督)のお婆さんの家に下宿していました。伊藤の家は芸妓さんの出身で、お母さんは祇園で小料理屋をしていて、祇園では有名な人でした。そのため、私も芸妓さんに知り合いもいて、重要な接待は祇園を使っていました。

祇園 住んでいた近所
住んでいた祇園の今の写真です。私の住んでいた頃とほとんど変わっていません。
 部下の20歳代前半の若い男女の担当が、わざわざ東京から京都の祇園に行き、小料理屋に芸妓さんや舞妓さんを呼んで接待するなど、接待されることに慣れている大企業の広告担当者もびっくりしたみたいで、非常に喜んでいたようです。

 接待費はどんどん使うし、売上はどんどん伸ばすし、私の言うことはなんでも聞く、素晴らしい部下達でした。

 私は岡先生が最強のフォワードを作ることに成功したように、最強の接待部隊を作ることに成功したみたいです。



星名理論と岡理論 68 受動的思考から主体的思考へ 10

星名理論はラックからの方が抜きやすい。星名理論 66 の続きです。

 星名先生の主体的思考でタックルされるポイントはアタックする側が決めることができると言うことはスクラムからのアタックだけでなく、ラックからでも可能でした。

 でもラインアウトからは少し実施は難しいように感じました。
 理由はオフサイドラインがラインアウトの場合はそれぞれ10メートルの距離を取るので、想定できるタックルライン(相手との中間点)に距離がだいぶ離れているので、ボールを持っていない時に走り込むのが難しいためです。

 逆に、普通はボールを回しにくい、ラックの時にはラックの最後尾からディフェンスがスタートするので、ディフェンスとの距離が短く、すぐ想定できるタックルラインに走り込むことができます。
星名理論 ラックでの応用.

 ラックの時は私はスタンドオフ(SO)が遅れた時などはスクラムハーフの真横で対面の選手の内側に立ち、外側に立っている対面に向けて立ちます。
 受けた瞬間に真横に、結果的には少し後ろに走ります。そして対面を外すと前に出ます。もうその時にはゲインラインを突破して、まだ相手のフォワードのカバーディフェンスは来ていないので真っ直ぐ前に出ることができます。

 下の明治大学戦の記事にはルース(今のラック)から私が直線的に先制トライと記載しています。

明大戦 記事のみ
 この試合の数日前、部内の紅白戦で左手の指4本を突き指し、手が倍ほどに腫れ上がり、下の写真のように、左手をテーピングで固定して、指4本が全く動かないのでパスができず、タックルもまともにできないので、初めてヘッドキャップをかぶって試合をしました。
4年明治戦 写真
 通常はディフェンスを突破すると、すぐフォローの選手にパスをするコースを探すのですが、この日はパスができないので、自分で走るコースを探しました。

 その結果6トライしてしまいました。
 星名先生の理論の凄さを実証することになりました。



星名理論と岡理論 69 受動的思考から主体的思考へ 11

ディフェンス(タックル)での主体的思考

 タックルはディフェンスがするものですから、タックルするポイントはデイフェンスする側が決めると思いがちですが、相手に走り込まれてタックルするのと、相手のスピードを殺してタックルするのでは大きく違います。

 ラグビーは本質的には地域を取り合うゲームです。ボールを持って相手陣に走り込んでトライを取るものですが、ルールで、スローフォワード(ボールを前にパスをすることが出来ない)、オフサイド(ボールを持った選手の前の選手はプレーできない)などの制約があります。

 最前線でスクラム、ラインアウト、ラックなどで相手と戦い、ボールを奪取してバックスにボールをまわしたフォワードは、ボールが後ろにパスをされながら進むので、全員オフサイドの位置にいて、その段階ではプレーに参加できません。

 バックスの最も重要な役割は味方のフォワードを前に走らせることです。

  だから星名先生の「極端に浅い(相手に近い)アタックライン」と私が称したアタックは非常に相手陣に近い所で勝負するので、突破すると前回の記事に書いたように、すぐトライに結び付きます。

 もし失敗したにしても、フォワードがあまり大きく後ろに帰る必要がなく、もし突破すれば、すぐ前に向かって走り、プレーに参加できるので非常に有効です。

 逆にディフェンスでは主体的思考でトップスピードで飛び出すことにより、相手のアタックラインが前に出てくることを控えるので、タックルラインを相手側に押し込む結果となり、タックルをはずされたとしても、フォワードのカバーディフェンスは前に向かって走ることになり、非常に有利に展開出来る。

 体重の軽い私(当時173センチ、60キロ弱)はセンターで相手がトップスピードで走ってくれば、待ってタックルをするのが苦手で、相手がトップスピードになる前に相手以上のスピードでタックルをすることを心がけていました。

 当時(多分今でも)タックルラインをアタックする側が決めると言う発想の選手はいなくて、ほとんどの選手はタックルラインを無意識に意識してスタートしているので、私がディフェンスで想定できるタックルポイントへ、最短距離をトップスピードで走っていくと、少しスピードを殺して受けるポイントを後ろにするか、もしくは横へはずそうとしました。


飛び出すディフェンス1

そのため私より大きな相手にも当り負けすることもなく、また相手が前に走ってこないのでタックルポイントを相手側に押し込む事になり、もしタックルをはずされたとしても、次のカバーディフェンスが前に走りながらのタックルが可能です。

 当時デイフェンスラインは横一線に揃えて出るのが常識でしたが、私はあえて常識を無視し、直線的にまっすぐに想定できるタックルポイントへ全力で飛び出しました。走力は皆同じようなものですが、他の選手は横一線に揃えることに意識が向き、スピードを少し殺していたからです。この私の無茶苦茶な飛び出しは相手にプレッシャーとなり、相手のアタックは通常より、前に出るのを抑えるので。タックルポイントを相手側に押し込むことになり、味方のフォワードは前に走ることが可能になりました。
 
 星名先生の主体的思考はあらゆる場面で適用可能です。



星名理論と岡理論 70 受動的思考から主体的思考へ 12

 イメージトレーニングが戦術から戦略へ発展

 私が高校で初めてラグビーを始めた時、他の同級生は皆同志社中学からのラグビーの経験者で、高校に入ってラグビーホールに初めて触ることになった私は全く他の選手についていけず、15人しかいない選手のただ一人の補欠でポジションも決めてもらえませんでした。試合になると15人必要なので、体を壊してもう練習をしていないマネージャーが試合に出ていました。

 毎日、イメージトレーニングで相手をどうしてタックルするか、相手のタックルを躱すにはどうすべきかを、繰り返していました。これは個人と個人のプレーで、個々の戦闘レベルのイメージトレーニングです。

 当時の高校ラグビーのレベルでは「戦闘レベルの練習しかおこなわれなかった」のが現実だと思います。60年近く前の話ですので、まだVTRも普及しておらず、本でしかラグビーの情報を得ることが出来ない時代でした。

 同志社大学に入ってチームとしての戦術レベルの練習が行われるようになりました。私が同志社大学はに入った時は、第1回の日本選手権で社会人を破って優勝した直後で、当然ですが、個々の選手の完成度のレベルが高校とは違いすぎて、パスのミスなどはほとんどなく、横の選手の動きにどのように合わせて、相手のバランスを崩すか、などチーム全体の動きが、練習となりました。
 当然私のイメージトレーニングはチーム全体の動きの中で、どのように動いたら良いのかと言う様に変わりました。
 でもこれは「相手のディフェンスがこの様にしてきたら、どの様に対応するか」と言う、受動的な思考の下でのイメージトレーニングでした。

 2年生の時に星名先生と出会い、「タックルラインはディフェンスが決める」と言うそれまでの常識と真逆の「タックルラインはアタックする側が決められる」と言う主体的な思考を教えてもらい、そのイメージトレーニングを続けました。

 3年生になると、岡先生から試合時間の80分間の中で、いろいろな戦術をどの様な順序で組み立てて、フォワード戦を有利に戦うか、戦略的な発想を教えてもらいました。

 「フォワード戦に勝てなければ、試合に勝てない」と考えていた岡先生は、星名先生の教えで10人でスクラムを組んで、更にバックスには外へ大きくボールを回さずに、フォワード周辺にバックスがボールを持って走り込む時間帯(Aアタック)と普通にバックスに回す時間帯(Bアタック)の時間帯に分け、それを時間で切り替える戦略的な試合運びを教えてくれました。
自分で考え、責任を持つ
 試合開始直後はAアタックを20分間ほど続けて、この時間帯はバックスは外へボールを展開せずに、フォワードの周辺へボールを持って走り込み、徹底的に相手のフォワードを疲労させ、その後Bアタックでバックスで外へ展開し、後半が始まるとまたAアタックで、徹底的に相手のフォワードを疲労させ、最後の20分で勝負を決めると言うものでした。
 それからの私のイメージトレーニングはフォワード戦を有利に戦う戦術的なプレーをどの順序で実施して、どの様な状況になれば、普通にバックスに回すBアタックに切り替えるか、戦略的なイメージトレーニングを繰り返しました。
日大戦記事1日大戦記事2
 そして大学選手権の日大戦にそれを実践しました。試合は前半は負けていましたが、後半には相手のフォワードが疲労で動けなくなり、逆転勝ちしました。
 



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