岡先生に教えていただいた「戦略の順序とその時間配分」はビジネスでもプロジェクト管理に非常に有効です。プレーを作業、工程として考えると、プロジェクト全体を考えて、各工程の依存関係を明らかにして、どの作業を最初に取りかかるべきか、等を考えるものです。
「主婦はパートの達人」と言われるそうです。パートと言っても、パートタイマーのパートではありません。PERT (Program Evaluation and Review Technique)は工程管理の手法のことで、短時間に料理を作り上げるには作業の全体像が頭の中に出来上がっており、取りかかる作業の依存関係とその順番がきっちりとわかっているからできるものです。
上図を簡単に説明すると、ご飯を炊いて、盛る作業が合計71分で、この赤線がクリティカルパスと呼ばれ、最も重要な作業でこれがスタートするのが遅れると、カレーライスが出来上がる時間が遅れます。カレーを作る作業は60分でご飯が出来上がるまでにカレーが出来上がれば良いので、11分の余裕があると言うことです。
ラグビーの試合に勝つためには、自分のチームの戦略的なプレーを試合時間80分間の中で、多く実践できた方が試合に勝てる確率が高くなります。これはプロジェクト管理の発想そのものです。
戦略的なプレーとは何かというと、FW戦を有利に戦うプレー、FWを前に走らせる場面を多く作る、もっと具体的な表現をすれば、ゲインライン(敵と味方の分断線、スクラムで言えば双方の最前線の選手の肩のライン)を突破すると言うことです。
何故なら、ラグビーはボールを前にパスすることはできず、FWはボールを獲得し、それがバックスに回った時点ではオフサイドの位置にいることになり、ボールが自分たちの前に移動するまで、実質的にはプレーに参加できないからです。
そしてその戦略的プレー(FWを前に走らせる)は試合時間80分間のできるだけ前の時間帯から多用し、FWが前に走っている時間を、相手より長時間にするということです。これが岡先生が私に指示した前回の記事に書いたAアタックです。
岡先生がパートの理論をご存知だったのかどうかは知りませんが、私がパートの理論を知ったのは卒業した直後です。その時、岡先生のラグビーの理論と同じだと非常に興味を持ち、少し勉強しました。
PERTの考え方は仕事や日常生活に非常に役立ちます。
日大戦の戦略の順序と時間配分
大学選手権の日大戦の元になった岡先生の戦略のPERT図です。試合前は下図の通り実施する予定でした。
最初はAアタックから入り、10人でスクラムを組み、キックで敵陣に入りました。ここですぐBアタックに切り替えれば、トライを取れたのですが、敢えてフォワード(FW)戦を挑みました。結果的にはこの時点では点は取れませんでしたが、相手FWは体力を想像以上に消耗したように見えました。
20分のAアタックの予定を30分ほどに伸ばし、Bアタックを10分ほどで終わりました。
後半はAアタックから入り、日大のFWの疲労が見えたので早めに逆転するため、10分ほどでCアタックに切り替えました。
Cアタックに切り替えてすぐ逆転し、記事にあるように、再三相手ボールのスクラムのボールも取り、そのままの勢いでFW戦も圧倒し勝利しました。
前半にバックスに回せばトライを取れる場面もFW周辺で戦い、マイボールのスクラムもすぐボールを出さずに二人多い10人でスクラムを押し続けるなど、スクラムで相手を圧倒するという岡先生の理論を実践することができました。
星名理論と岡理論 34 戦略の順序と時間配分 8
PERT(パート)はビジネスや日常生活で非常に有益
初めて仕事(キャンペーンの実施)にPERTの考え方を適用してみました。
岡先生がパートの理論をご存知だったのかどうかは知りませんが、私がパートの理論を知ったのは卒業した直後です。その時、岡先生のラグビーの理論と同じだと非常に興味を持ち、少し勉強しました。
岡先生の理論は80分間という試合の時間制限がある中で、FW戦で有利となる戦略的なプレイ(スクラムを相手より2人多い10人で組んだり、FW周辺で勝負)を試合開始直後から実施し、その次にバックスで広く大きく展開し、相手が広く動くようになったら、またFW周辺の勝負に切り替えるというものです。
岡先生ご夫妻でラグビーの同期会に出席された時の写真?あまりに人相の悪いのが沢山後ろにいますが、ラグビーの元選手で組関係者ではありません。
重要なのはこの戦略の実施順序とその時間配分で目的はFW戦に勝利するということです。
いろいろなプロモーションを連動させながら進めるキャンペーンはパートの理論を実践するのに最適の場でした。
私が初めて広告代理店の営業としてとってきた仕事は車のメーカーのモーターボートの試乗会の実施です。車のメーカーが初めて売り出すモーターボートで高額商品のため、東京、大阪、名古屋で自社の高級車のユーザーを対象にした試乗会ですので、告知は招待状だけで、高額商品のため立派な案内状、パンフレットとロゴ入りのオリジナルな封筒とその宛名書きは筆書きが希望でした。
私のサポートのついたベテランのイベント担当者は立派な案内状やパンフレットが原稿作成や印刷に時間がかかるので、これから始めるように私にアドバイスをしました。
しかし、私はまず、封筒が一番先だとして、封筒を先に進めました。宛名書きが筆書きなら、これは達筆な人を集めて、手作業で一番時間がかかり、予測が不安定で、何よりも、これは封筒ができていないと作業が開始できないからです。
立派な案内状やパンフレットは宛名書きが終わった時までに出来ておればば良いわけです。
結果は私の予想通りで宛名書きが予定通り進まず、予定より大きく遅れ1週間以上遅れました。でも封筒の作成を一番先に進めていたので、発送予定日には間に合いました。
重要なことはプロジェクト(作業)の全体像を把握し、その依存関係を理解して、とりかかる順序を決めることです。
PERTは広告業界だけでなく、あらゆるビジネスや一般の生活でも利用できます。
カレーライス作りのPERT図です。

カレーライス作りのPERTの解説はこちらから
星名理論と岡理論 35 岡先生とのやりとりについて 1
岡仁詩先生の講演録
星名先生、岡先生は私が同志社大学のラグビーの現役だった1960年代当時は、正式には星名学長、岡教授であったのですが、当時から同志社のラグビーの関係者は星名先生、岡先生と呼び、お二人のラグビーに関する考え方は星名理論、星名ラグビー、岡理論、岡ラグビーと呼んでいたので、私は当時のままに、星名理論、岡理論と書いています。
岡先生は2007年5月11日、京都府内で同志社大OBに会った後自宅に戻る最中に倒れ、心筋梗塞で死去。享年77。
翌日の5月12日に秩父宮ラグビー場で開催されたラグビー日本代表の強化試合(対クラシック・オールブラックス)では選手が喪章をつけて戦った、とのことです。
岡先生のラグビーに対する考え方は岡先生講演録「
教わり教え教えられ」が一番分かりやすい思います。
岡先生の講演が記録されたのが2005年11月9日で、永眠されたのが2007年5月11日なので、この講演が最後だったのではと、推測しています。
私が最後に先生にお会いしたのは、スペインに移住する前に京都で岡先生と奥様と一緒にお茶を飲んだ時で、最後に日本に帰った時は、もう10年以上前ですが、家にお邪魔して遺影にお会いすることになりました。
この講演録の中で、岡先生は私のことについても触れられています。
この岡先生の講演録のことを知ったのは岡先生が永眠された後でした。
岡先生がわざわざ、私のことに触れられているのは、「星名先生の理論を後世に残すように」とメッセージを残されたのでは、と思いました。
そして私は2012年に、同志社大学ラグビー部のOB会から寄稿を依頼され、星名理論について、「星名先生との出会い」で私の体験を書きました。
私は現在76歳、あと1年で岡先生が永眠された歳と同じになります。
今は元気ですが、コロナ禍ではいつどの様になるか分からないので、もう少し、星名理論と岡理論について詳しく書きたかったので、ブログを始めました。
星名理論と岡理論 36 常識やしきたりを全てひっくり返す。 星名先生、岡先生の教えを受けた私には、ビジネスの業界の常識や前例、しきたり等は全く関係ありませんでした。私の中にあるのは「今、なにをしておくべきか?」それだけでした。
星名理論と岡理論 戦略の順序と時間配分で書いたように、重要なのは取り掛かる順序で、未来形ではなく、完了形でなければならないものです。
岡仁詩先生
私が働いていた広告業界は派手ですがあまり綺麗な業界ではありませんでした。接待が重要な仕事の一つであり、私は、無口で酒を飲まない、ゴルフをしないなど、広告業界の営業としては全く適性のない男でした。
ラグビー関係で知人が多く、信頼もあったので、営業成績は悪くないのですが、業界や会社のあらゆるしきたりを破壊しまくりました。
中堅の広告会社で、オーナー社長が私のことを信頼してくれていて、経営の実質は専務でしたが、「浦野は破茶滅茶だけど、会社のために体を張る男だから好きにさせるように」と言ってくれていたので、好きにさせてもらいました。
私が課長になり、新しく課を作った時の部下は全員営業経験のない若い男3人でした。
さらに数ヶ月後、その年採用された4年生大学卒の女性が私の課に入りたいと言ってきて、すでに配属が決まっていたその女性を強引に引き抜き、会社は大騒ぎになりました。
当時は4年制の大学卒の女性は就職が難しく、ましてや広告業界に女性の営業などほとんどいない時期でした。まず、大騒ぎしたのは同じ営業の女性社員でした。営業部に数人女性社員はいたのですが、ほとんどが雑用で、電話番、朝お茶を出したり、コピーを取ったりが主で、「私はそのような仕事は私の課の女性にはさせない」と宣言したためです。
「私は営業部員を1名配属してもらっただけで、その分、ノルマを上乗せしているので、私の課専任の事務員ではない」と言うのが私の主張です。
その女性を引き抜いたのは彼女の要望でした。彼女はすでに経営計画室に配属が決まり、働いていたのですが、営業希望で、私の課で働きたいとのことした。
彼女は小柄ですがバスケットボールの選手で、体力や実行力があり、何よりも美人で人あたりがよく、人を煽てるのが得意で、私の持っていない、営業の必須の能力を全て持っていたからです。
会社からはもうすでに決まった人事だから、1年待つようにと再三説得されたのですが、私は「待つのは無駄だ、改めた方がが良い事は。いますぐやるべき事だ」。私にとっては未来形ではなく、完了形でなくてはならないものでした。
最後は「彼女に辞表を出させて、社長に頼んで経験者として再雇用してもらう」と脅かして、人事をひっくり返しました。
私は彼女に「一人の営業として扱い、女性としては扱わないので、徹夜もあるし、出張や接待の席にも出てもらう」と話しました。
彼女の偉かったことは私は彼女に「お茶を入れることはしなくて良い」と言ったのですが、朝一番早く来て、みんなにお茶を出し、それから営業の仕事についていました。
私は私が担当していたスポンサーの仕事を彼女に担当させ、まず「金の交渉は全てお前に任せるから、金の交渉になったら、その場で判断して決めろ。いちいち、持ち帰って相談します、と言うな。少々赤字を出しても構わない」。
そして、朝のお茶の仕事をやめさせるため、彼女にそのスポンサーに毎朝、1ヶ月間、直行して担当者を待ち受け、喫茶店でお茶を飲むように命じました。
彼女は順調に成長し、数年後、今まで一番大きな新規の仕事をとってきました。
星名理論と岡理論 37 常識やしきたりを全てひっくり返す2
京都の祇園で芸妓さんを呼んでどんちゃん騒ぎ。
星名先生と岡先生の教えを受けた私は、前提となっている業界や会社のしきたりとか慣習に囚われない、営業スタイルも無茶苦茶でした。広告業界は接待が激しいので、接待費は会社の割当額を大幅に突破し、目標の利益率の範囲内で好き勝手に使っていました。
広告業界は提案が良いのは当たり前で、接待で勝たなければ、大手との競争には勝てない。岡先生が「フォワード戦に勝たないと試合に勝てない」と考えたように、私は接待戦に勝てなければ仕事は取れない、と思いました。そして最強の接待部隊を作ることにしました。
私は同志社大学でラグビーをしていた時、高校から同期の伊藤(同志社が大学選手権初優勝したときの監督)のおばあさんの所に下宿していました。伊藤のお母さんとおばあさんは芸妓の出身で祇園で料理屋を経営しており、祇園では有名な人でした。
そのおかげで、学生時代から祇園の芸妓さんに親しい人もいました。
私が部下に伝えた方針は以下のようなことです。
「スポンサーの接待は金に糸目はつけずに、回数を少なくして、超一流の所にしろ。個人や会社の仲間とは最も安いところ行け。重要なスポンサーは京都の祇園に連れて行け」
ゴルフが好きなスポンサーには小金井カントリー倶楽部、テニスの好きな人には東京ローンテニスクラブ、バーやクラブの好きな人には銀座、色々コネを使い道筋をつけました。
このうち私が付き合ったのは祇園だけでした。私はゴルフ、酒はやらないので、食事以外は付き合えないと、スポンサーに宣言しており、部下が案内することをスポンサーに了解してもらっていました。
スポンサーも、無口な私より、太鼓持ちの天才のような若い男性と、美人の若い女性と一緒の方が楽しいようでした。
祇園は特別な社会で、まず一見さんは入れないし、祇園独特の慣習のようなものがあり、それを私は熟知していました。
まず、普通の人が驚くのは、金を一切その場で払わないことです。いつも伊藤のお母さんの店で食事をして、そこに芸妓さん、舞妓さんを呼んで一緒に飲み食いし、次に芸妓さんなどと一緒に近所のバーに行き、カラオケなどで大騒ぎをして、そして最後はお好み焼き屋さんでお好み焼きを食べると言うのがコースでした。
今はどうか知りませんが、当時はここまでは金を支払うことはありませんでした。全て、予約は伊藤の店がしてくれて、芸妓さんが案内してくれて、請求書が伊藤に周り、私は伊藤の店に一括して払うだけです。
万が一、私が伊藤に金を払わなければ、全て伊藤が負担することになります。それほど祇園は信用が大事にされています。
一度祇園を経験すると、大抵の人は、「年に1回か、2回祇園に連れて行ってくれるのであれば、銀座もゴルフもいらない」と言ってくれました。東京の大手の会社の広告発注担当者でも、銀座のクラブで飲む事はあっても、京都の祇園に行き、芸妓さんや舞妓さんと飲む経験はしたことがなかったようです。
私は接待は苦手なので、部下の25歳ぐらいの男と卒業したての女性に任せきりで、時には二人が勝手にスポンサーを連れ、祇園に行っていました。夕方、仕事を早めに切り上げ、新幹線で京都に行き、祇園で芸妓さんと遊んで、祇園に泊まり、朝一番の新幹線で東京に帰ってきたみたいです。
接待費はどんどん使うし、売り上げはどんどん取ってくるし、私の言う事はなんでも聞く、素晴らしい部下でした。
私が住んでいた祇園の近所 Google Mapより 現在の写真です。
女性社員の海外出張
私のする事は全て業界や会社の常識やしきたりをぶち壊していて問題になっていたみたいです。
私の部下の女性が担当したのは旅行会社でした。その会社の得意なのは国内では北海道、海外ではヨーロッパで特に、ファッション関係の買い物ツアーが得意でした。ヨーロッパの有名なファッションメーカーなどの協賛で、工場を見学したり、ショップで買い物をするツアーです。
彼女が担当して1年ほど経ったとき、その旅行会社から、ツアーのキャンセルが出たので、安くするから私に参加してくれと言ってきました。私はファッションには興味がないので、彼女に行かせることにしました。
これも会社で大騒ぎです。50年近く前で、国内出張するのも稟議書がいる時代で、海外出張など、テレビ局の招待で役員か部長が順番で一度だけ褒賞の意味で行くぐらいだったのに、入社して1年ほどの女性が海外出張など、とんでもない、と言うことみたいです。
こんな馬鹿げた議論は無視して、スポンサーから要望の業務出張で彼女の指名があったことにして、強引に押し切りました。
彼女はバスケットボールの選手ですが、白人の2世かと思えるほど色が白く、ファッションにも興味があり、フェラガモの靴を履いて、グッチのバッグを持って、仕事では歩くのではなく、本当に、走り回っていました。
物おじしない、体育会系の男のようなさっぱりした気性は、スポンサーの中でも評判でした。
誰が考えても、無口で無愛想で、ファッションにも無関心な私より、世界の最先端のファッションの会社を訪問するのには、訪問先の商品を実際に普段身につけている若い美人の女性が行ったほうが良いことぐらいぐらい、わかりそうなものですが。
中年の女性が多い中で、若い彼女は非常に目だったらしく、訪問先のファッションメーカーの日本の仕事まで取ってきました。
星名先生、岡先生に教えてもらった、一般的な社会常識や、前提となっている慣習などは関係なしに、「今しておくべき事」を徹底することは、本当に大事な事だと、改めて感じました。
パリ 凱旋門 プロジェクション マッピング
2019年12月31日 旅行中のフランスのテレビ画面です。
星名理論と岡理論 39 常識やしきたりを全てひっくり返す4
祇園の伝統芸、 手打ち
同志社でラグビーをして、星名理論、岡理論に触れ、一般社会常識からは大きく外れっていたようですが、たくさんの信頼できる友人に囲まれた普通の人ではできない経験をしたようです。特に、京都の祇園で過ごしたのも幸いでした。
担当している旅行会社から東京の会社の創立50周年の招待旅行で顧客数百人を京都に招待して記念パーティを提案するのだが、競合になるので力を貸して欲しいと頼まれました。
記念パーティは有名な歌手を呼びたいとのことでした。
チェーンホテルの新規店オープニングキャンペーンで歌手を連れてイベントを行ったりしていたのですが、これはまかり間違うと、ヤクザとの揉め事になります。
私達が芸能人と商談するときはコマーシャルやイベントなどの出演ですが、ホテルやクラブでのショーへの出演はギャラが特別に高くなり、ヤクザの縄張り争いにも関わってきます。これは通常、芸能人側のプロダクションが、事前に話をつけてある場合が多いのですが、時々もめて、嫌がらせを受けることがあるようです。
私は歌手を呼ぶ案は最初から提案せず、京都でやるのであれば、祇園の芸妓さん、舞妓さんを沢山呼んで「手打ち」をするべきだと提案しました。
「手打ち」は京都の祇園だけのあまり知られていない名物の一つになっています。 揃いの紋付きの衣裳に頭に笹りんどうの紋のある手拭を細くたたんでのせた芸妓さんが、手に紫檀の拍子木を持ち、それを打ちながら出てきます。そして舞台に上がり、唄を歌い、褒め言葉を言ったりして慶事のある席で披露されるものです。
伊藤のお母さんに相談したところ、「祇園に出入りしている大企業の重役からもこんな依頼は聞いた事が無い。ましてや、祇園に出入りしたことのない東京の中企業の50周年など、誰も相手にしない。しかし、あなたの頼みなら、私が芸妓を集めてあげる」と言って、祇園中の置き屋のおカミさんに直接、電話をして50人ほどの芸妓、舞妓を集めてくれました。50人ほどの芸妓と舞妓を集めると、祇園はほとんど空っぽになるとのことでした。
広告業界は「義理と金」ですが、祇園には昔ながらの「義理と人情」が残っています。
私は馬鹿げた一般常識やしきたりは全て無視しますが、古くても良いしきたりは大事にしたいと思っています。
星名理論と岡理論 40 常識やしきたりを全てひっくり返す 5
夜食を出さない会議をボイコット
私には大きな弱点があります。腹が減った時と怒って頭に血が上った時は、思考能力がなくなることです。これは今でも治っていません。
この会社に入社して1年ほど経った時、役員総出の特別プロジェクトがあり、私が担当になりました。私以外は全員、部長か取締役です。緊急のプロジェクトだったので、夜7時から会議が始まりました。
私は当然他の仕事もやっているので7時まで忙しく働いていました。会議は11時ごろまで続いたのですが、夜食が出てきません。もう思考力のなくなった私は「夜食をとりませんか」と言ったのですが、誰も反応しません。
次の日にまた7時から会議だと言うので、部長に夜食が出るのか聞いたら、出ないと答えました。なぜ出ないのか聞いたら、「皆辛抱しているのに、なぜ君は辛抱できないのか?」「私一人が腹減っているのではなく、全員が食べる時間がなく、腹が減っているのであれば、食事を食べながら、会議をすれば良いではないですか」「腹が減っていても会議はできる」「私は腹が減ったら思考が停止して仕事はできません。出席しても意味が無いので、帰らしてもらいます」と言って、会議をボイコットしました。
翌日、私が唯一信頼している、他の営業部長に会議の様子を聞いたら、「実際に動く担当がいないので11時まで会議はしたが、何も決まらず、夜食を出すかどうか、話し合って、次から夜食を出すことになった。お前のおかげで次から夜食が出る」と言って笑っていました。
この会社の役員は与えられた環境を変えようと考える事もしない人たちばかりのようです。ビジネスの世界でも環境はどんどん変わってきます。その環境に合わせて、働き方も変えるのが当然です。
星名先生と岡先生に教えてもらったことは「戦う環境をチームに有利な状況に作ること」です。重要なのはルールで常識やしきたりではありません。
接待は相手が官庁でなければ認められている行為です。この業界が接待が受注するための重要な仕事なら、私は徹底的にやります。
ある時、経理部長と話をしました。彼は私の数少ない理解者の一人です。「お前の課の領収書はすぐわかる。他の課とは桁が違う。他の課の領収書は近所の安い店のが多い。多分仲間内で飲み食いして接待費として落としているのだろう。お前の課は、近所の安い領収書が一枚もない。
接待費の低率課税は資本金額により額が違い、一定額を過ぎると課税率が高率になる。我が社では接待費は低率課税の枠を各課に配分している。お前の課の超過分は高率の課税額をプラスして原価として計算しておくので、気にせずに接待しろ。社長からは浦野には好きにさせろと言われている」
この時、初めて社長が陰で色々助けてくれている事を知りました。
イチジクのワイン煮

スペインは豊富な食材が安く手に入ります。腹が減って思考が停止することはあまりありません。
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