ラベル 星名先生の理論と岡先生の理論 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 星名先生の理論と岡先生の理論 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022-03-03

星名理論と岡理論 80 星名理論と岡理論のホームページ

  星名理論と岡理論のホームページを作成しています。


 ラグビーをする輩は私と同様で、大雑把でいい加減です、もう少し良い表現をすれば、寛容で小さなことにはこだわらない、とも言えると思います。

 ブログを作成したのですが、ラグビー関係者はほとんど見ていないのではと思います。私もそうですが、自分でブログを開設するまで、あまり友人のブログも見ることがありませんでした。
 このブログも見にきている方の多くはペットや海外情報などのブログを書いている方で、ラグビーのブログからはほとんどありません。
 ラグビーの記事だけ書くわけにはいかないので犬のことやシッチェスでの生活も書いています。

 ラグビー関係者にはラグビーの記事だけのブログをGoogleが運営しているブログにホームページの様な作りで開設しています。こちらはシッチェスの友人達にも読んでもらえるように、翻訳機能がついており、全ての国の人に、その国の言語で読める様になっています。

 ラグビーだけの記事が読みたい方はこちらの方も読んでいただければと思います。
 右欄の、リンクの星名理論と岡理論(ホームページ)から見ることができます。

このブログのコンセプトは以下の通りです。

 星名秦先生、岡仁詩先生。半世紀前にはラグビー関係者であれば、彼らは皆が知っていたラグビー界のレジェンドです。このお二人のラグビー理論は一般常識の正反対のものでした。

 ラグビーはボールを持っている選手にはデイフェンス側の選手はタックルをすることができます。
 タックルする場所(タックルポイント)はタックルする選手の側が決めるのが当たり前だと考えるのが当然です。星名先生はタックルされる場所はアタックする側が決めることができることを教えてくれました。

 想定されるタックルポイントにボールを持っていない時に走り込めば、デイフェンス側はそのまま走れば、アタックの選手にぶつかります。ボールを持っていない選手にタックルすれば、ノーボールタックルという反則になってしまいます。
 
 そのため、タックルポイントの少し手前で立ち止まり、アタックの選手がボールを受け取るのを待たなければなりません。
 立ち止まって待っている選手と、助走をつけて走り込んでいる私では、私の方が遥かに有利になります。
 要は、そのような「自分に有利な環境を主体的に作り出せば良い」と言うことです。

 ラグビーのプレーの前提となっているような一般的な常識。
 誰もが、これは変えようもない前提だと、思い込んでいるようなことまで疑って、180度正反対の考え方でプレーをすることを教えていただきました。

 天動説を信じている時代に、地動説を初めて聞いたようなものだと感じました。以後の私は、常識などに全くとらわれず、自分の本能や直感と言った、常識はずれのプレーばかりするようになってしまいました。
 そしてラグビーだけには留まらず、ビジネスでも、よく言えば、非常に柔軟、自由な発想で普通の人では思いもつかないようなことばかりしていました。

 日本のラグビー界のレジェンドの一人、日本代表の監督でもあった平尾誠二も星名先生、岡先生の影響を受けていたようです。
 「常識に縛られるより、状況に応じて柔軟にプレーすることが大事」と言っています。
 平尾の記事はこちらから

 コロナ禍で、いつ死ぬかもわからない今、星名秦先生、岡仁詩先生のラグビー理論を世界中の人が見れるように残したいと思い、世界中の言語に翻訳する機能を持っているBloggerに書くことにしました。

 多くの国の人に、ラグビーの素晴らしさ、星名先生と岡先生のラグビー理論を知ってもらえれば幸いです。岡先生、星名先生 まり子さん

星名先生、岡先生、岡先生のお嬢さん、

星名理論と岡理論 79 主体的思考とそれを主張し発信することが重要

  星名先生に教えていただいたラグビーのルールを正しく理解すれば、「相手のディフェンスの出方に合わせて、自分のアタックの出方を合わせるのではなく、自分のアタックの出方に相手のディフェンスの出方を合わせさせることができる」と言う、主体的思考は私の生き方にまで影響を与えた様です。


 日本に住んでいて、働いていた時には、仕事の周辺にしか思いが至りませんでした。
 毎日、新聞とテレビで情報を取得し、仕事に夢中になり会社とラグビーの友人達としか話をしない私は、政治や社会情勢には無頓着でした。
 でも、スペインに来る前、17年以上前の日本は今ほどひどいとは思ってはいませんでした。
 60歳近くにスペインに移住し、日本の情報はインターネットでしか入らなくなりました。情報環境はどんどん良くなり、インターネットも高速で、パソコンや携帯電話の処理能力も上がり、今では非常に快適な通信環境のもとで生活しています。

 シッチェスでもラグビーを再開し、仕事はしていませんが、日本と同じような生活をしていました。GAFAの一つの日本支社に働いていたこともあり、英語は少しできましたが、スペイン語は全く接触したことがなかったので、勉強を始めました。
 でも無口な性格は治るわけではなく、ラグビーとルディのおかげで、この街、シッチェスで生まれ育ったかのように、多くの友人達に囲まれ、楽しくやっていました。

 自分の考えを主張した方が良いのかと思うきっかけを作ってくれたのは、岡先生の講演録「教わり、教え、教えられ」を読んだ時でした。 
 岡先生が講演会で星名先生のことを話され、その中で、私のことも話されたことを知り、マーケティングの仕事を選ぼうとした時、「お前は今の同志社で星名理論を実践できているただ一人選手ではないか。そのお前がラグビーを止めることを星名先生が後押ししてくれようとしている。その星名先生の気持ちを考えると、お前は星名先生の後押しは断り、ラグビーを続けて、星名理論を啓蒙をするべき役割があるのではないのか」と言ってくれた先輩の言葉を思い出しました。

 ちょうどその頃、OB会から同志社大学のそのシーズンのDVDを沢山送って頂き、観戦記を書くことになり、星名先生のラグビー理論をまとめて観戦記を書きました。

 そしてコロナ禍となり、引きこもりが続き、いつ死ぬかわからない様な状況になり、星名先生、岡先生の理論を誰でもが読めるようにブログに残そうと思って、色々過去の事を書いている内に自分が、どれほど星名先生と岡先生に影響されていたか、改めて知ることになりました。

 星名先生のおかげで主体的思考を持つ様になり、また岡先生のおかげで、戦略的な実践と長期的な視野を持って活動することを知った私は、もう一つ、重要な事、主張し、行動することが必要だと思います。

 スペインでインターネットで日本の情報に接すると日本の劣化がはっきりと見えてしまいます。自分の感じたことを主張し、発信することが重要だと感じました。
 多くの人が主張し、発信する様になれば、日本も少し変わるきっかけが起きるかも知れません。

 文中の青い部分をクリックすると見ることができます。

 最近気に入っているお二人の言葉です。
 岡先生の「教わり、教え、教えられ」より 
自分で考え、責任を持つ

山崎、ツイート小

星名理論と岡理論 78 キーワードの選択について

  無口で、字が汚く、人前で話すことが苦手な私は、ラグビーとマーケティング以外の語彙がほとんど頭に浮かびませんでした。結構早い時期にパソコンを使う様になり、また岡先生に言葉の選択を教えてもらいました。

 同志社大学が林、大八木、平尾などで強かった時、夏合宿にFW のコーチとしてニュージーランドのカンタベリー大学のホックリーさんを呼んで、初めてモールの技術を導入しました。ホックリーさんはカンタベリー大学が日本に遠征した時のキャプテンで、全同志社で対戦し、また私が大学2年生の終わりの春休みに全同志社でニュージーランドに遠征した時に、いろいろ世話をしてくれた人でした。

 そのホックリーさんが初めて同志社に(おそらく日本でも初めて)モールの技術を教えてくれました。

 岡先生はFWの古いOBに練習中に声を上げて指導することを禁止したことがあります。多くのOBがモールに「突っ込め」と言う表現で、選手に言っていたからです。

 当時はラックとモールの区別もできない時で、ほどんどのOBはモールのように立って組んで押すと言う意識がありませんでした。

 昔のルーズ(ラック)のように、寝転がるプレーが多い時に、「突っ込め」と言う様な言葉は「diving、飛び込め」と言う様なイメージになるからです。

 ホックリーさんが教えている「get in the moul,and walk」と言う、重要な「モールに入り、足を動かし、前に進むこと」の意識を全員に徹底させたかったとのことです。

 元々知っている語彙が少なかった私は、もっと的確な表現をしないとまずいのか、と感じて、それ以後、使う言葉を選ぶ様になりました。

 パソコンは私にとっては強力な武器になりました。字が汚いのは気にすることはなく、また変更や構成を変えることも簡単で、使う単語も色々候補が出てきます。

 例えば、星名先生の「タックルポイントはディフェンス側が決めると思い込んでいたのを、アタックする側(自分)が決めることもできる」と言う考え方を、どう言う言葉で表現するかを考えた時、「自発的、自主的、主体的」などの単語が浮かんできて、それぞれの意味を調べました。

 「自主的」はやり方・行動のとり方に重きが置かれます。人から助けてもらうことなく、独立・自立して自分で行うさまを指します。

 一方「自発的」は理由・行動のきっかけに重きが置かれます。他人は関係なく自分の中からモチベーションが生まれて、行動するに至ったという意味合いです。

 例えば、友達から言われて筋トレを始め、筋トレ方法は自分で調べて一人で実行する場合、自主的ですが自発的ではありません。逆に、自分の意志で筋トレを始めたが、一人ではできずトレーナーに手伝ってもらう場合は、自発的ですが自主的ではありません。

主体的」は、自分の意志で行動するという意味(自発的)と自分で独立して行動する(自主的)の両方の意味があります。

 その結果、星名先生の理論を主体的思考として書くことにしました。 

以後は、タイトルや見出し、キーワードになる様な言葉には、結構注意して、使う様になりました。

岡先生、田辺カントリー 3人
岡先生と奥様とお嬢さん

星名理論と岡理論 77 岡先生のコーチング理論

  大学を卒業して社会人の強豪チームでラグビーをしなかった私に岡先生は「夏合宿だけはコーチに来る様に」と言われました。東京に出た私は約20年ほどは毎夏、2週間ほどの夏休みをとり、同志社大学の夏合宿に参加し、大学選手権で同志社が上京したときは、宿舎のホテルに同宿しました。


 東京では港区に住んでいたので、岡先生が上京した折は、私の家に泊まられることが多くありました。独身時代が長かったので、気楽なのと、港区で秩父宮ラグビー場には近かったので便利だったのと、私とラグビーの話をするのが面白かったのかもしれません。
 「私が岡先生のラグビーに対する考え方を一番わかっている」と当時は自負していました。

  岡先生のラグビーに対する考え方は講演録の「教わり、教え、教えられ」を読んで貰えば、わかると思います。青色の部分をクリックすればみられます。
 岡先生がこの講演録の中で、私のことについて話されているのを知ったのは、岡先生が永眠されてしばらくしてからでした。
 多分時期的には岡先生の最後の講演ではと思われる中で、星名先生のことについて話されているのは当然ですが、私のことについても話されているのは、驚きでした。

 マーケティングの仕事を選ぼうとした時、「お前は今の同志社で星名理論を実践できているただ一人選手ではないか。そのお前がラグビーを止めることを星名先生が後押ししてくれようとしている。その星名先生の気持ちを考えると、お前は星名先生の後押しは断り、ラグビーを続けて、星名理論を啓蒙をするべき役割があるのではないのか」と言ってくれた先輩の言葉を思い出しました。

 コロナ禍で生活が一変しました。シッチェスの我が家の隣の棟でお年寄りがコロナに感染し、救急車で運ばれて行きました。死者も出ている様です。引きこもりの生活が続きました。
 私自身は引きこもりは苦にならないのですが、毎日家にいてパソコンを触っているのであれば、星名先生と岡先生の理論を誰でもが、いつでも読めるように、ブログに残しておくことを思いつきました。

 色々な角度から、星名先生と岡先生のラグビー理論を書いてみようかと思っています。

「教わり、教え、教えられ」より抜粋
自分で考え、責任を持つ
岡理論、1基本とは何か

2021-11-27

星名理論と岡理論 48 丸紅で星名理論を実践

 丸紅、人事部の倉田さん、

東京へ出た私は同期の伊藤(故人、同志社が大学選手権で優勝した時の監督)が商社の丸紅でラグビーをしていて誘われました。丸紅は商社リーグというのに入っていて、チームメートというシステムがあり、数名の社外の人間も登録して試合に出られるとのことでした。

 当時の丸紅は、人事部の倉田さん(故人、京大卒)が京大や同志社や慶應の選手を集めていて、同期の宮崎(京大で私と同じポジション)もいて、スクラムハーフ、伊藤、スタンドオフ宮崎、なので、星名先生の理論を実践できるとのことで、丸紅でラグビーをやらしてもらうことにしました。

 一番印象に残っている試合は練習試合ですが、朝日生命(当時関東社会人の1部)との試合でした。倉田さんが、「練習試合なので、丁度京大でスタンドオフをしていた中村孝太郎が東京に遊びにきているので、伊藤、中村のハーフ団に、宮崎、浦野のセンターで楽しんで来い」と言って、送り出してくれました。

 京大と同志社は一緒に練習したりしたこともあり、皆同期で顔見知りだったので、楽しい試合でした。

 当時はまだ丸紅は社会人の2部か3部位だったのですが、1部の朝日生命のバックスのディフェンスをほとんど触られることなく抜いて、トライを重ねました。

 丁度その日は翌年に丸紅に入社する、上智大学のラグビー部のキャプテンが試合を見にきていたので、倉田さんが彼に「うちのバックスはどうや?」と聞いたら、試合が終わって帰ってきた私たちが小さかったり、痩せていたりで、とてもラグビーの選手には見えなかったので、「相手が弱すぎる。上智の2軍レベルですね」と答えたそうです。

 その時の朝日生命のセンターは小松、千葉という明治の大型バックスで有名な選手だったのですが。

 これを聞いた倉田さんは大喜びで、翌日から私の会社に何度も電話をしてきて、交換の女性に「上智大学の2軍程度のラグビーをする浦野さんと話がしたい」と言うので、会社の中では「浦野さんは、同志社で1年生からレギュラーだったと言う話だったけど、本当は上智大学の2軍程度のプレーしかできない」と言う噂が瞬く間に社内に広がりました。

 仕方がないので、私から倉田さんに電話するときには「上智の2軍程度のラグビーをする浦野です」と言って電話することにしました。倉田さんは大喜びでした。

1年京大戦記事のみ

1年生の時の京大戦 京大のメンバー表には石田さん、倉田さん、宮崎など懐かしい名前です。

 
大学1年 1964年 京大戦 同大が全勝優勝 浦野トライの写真
 この時の試合の写真です。何故か名前が間違えられていました。

2021-11-25

星名理論と岡理論 47

 ラグビーの大学選手権の早稲田戦で負傷退場


 星名先生、岡先生が考案された10人スクラムの効果は抜群でした。当時の秩父宮ラグビー場は、関東のローム層の地盤の上に芝が貼ってあるのですが、冬になり、夜の気温が0度近くになると霜柱が立ち、これが昼間温度が上がると溶けて、上滑りして、慣れていない関西の選手は足が滑り、スクラムもうまく組めませんでした。

 1回戦の日大戦は強力フォワードの日大に10人スクラムで圧倒し、2回戦、準決勝の早稲田は7人ファオワードでバックスが一人多く、バックスに重点を置いた対照的なチームでした。
 
 この試合開始して間も無く、私はタックルに行く時、上滑りして足を滑らせ、体制を崩し、後ろの選手の膝の上に体を捻りながら、相手の選手を抱きかかえて倒れ込みました。
 私と相手の選手の体重が、捻った腰の一点にかかった為、骨には異常はなかったのですが、腰の損傷は激しいもので、それから1ヶ月ほど歩くのも困難な時が続きました。

 この時期はまだ負傷退場でも、選手の交代は認められない時期で、同志社は14人で戦うことになり、試合は負けてしまいました。
 私が試合途中で負傷退場したのはこれが初めてで、同志社大学に入り、これまで公式戦は1年生の時から、試合に出なかったのは、社会人対抗の近鉄、大阪府警戦の2試合だけでした。脳震盪で倒れたことはありましたが、退場は一度もありませんでした。

 この時の負傷は、私のその後のプレーに大きく影響を与えたようです。1ヶ月ほどのほぼ寝たきりの生活は、復帰後のランニングのフォームが少し変わったようで、その後、太ももの肉離れを起こすようになりました。
 
 これは現在までも続いています。スペインに来てラグビーを再開してからも、スピードたでてくると、太ももの肉離れを起こすみたいです。厄介な体になってしまいました。
3年早稲田戦 負傷退場

2021-11-24

星名理論と岡理論 46  重要なことは完了形であること。

 直感的に、本能的に行動する。


 岡先生の「自分で考え、判断して、行動し、責任を持つ」は、「既存の法律やルール」の慣習や前例に囚われず、その本質をもう一度考え直すことをするように仰っているのでは、と感じていました。

 この考え方には完全に納得できるものですが、でも私のしてきたことは少し順序が違っている様でした。「行動して、考え、判断して、行動して、責任を持つ」と言うように、まず「直感的に、本能的に行動する事が先にあり、それから考えて、改めて判断して、行動をして、責任を持つ」が私のしてきたことのようです。

 天理戦での私のタックルに岡先生も驚かれてようですが、性格的なものかわかりませんが、私はほとんどの場合、まず行動が先にあり、それからこの行動がよかったのか悪かったのか、考えるタイプみたいで、この性格がラグビーに向いていたのだと思っています。

 天理戦ではフォワードから遠く離れた場所に立っているはずの私が、相手の選手がボールを受けた瞬間にタックルに入り、トライされるのを防ぐ事ができたのは、「相手がボールを受けた瞬間にタックルに入れる位置に既にもう走り込んでいた」と言う、完了形だったからで、「ピンチになったら走ってタックルにいこう」と言う、意識では遅いと言う事です。

 大昔の歌の文句で「口で言うより手の方が早い、バカを相手の時じゃない」と言うのがありましたが、それよりもっと早い「頭で考えるより、もっと早く、もう動き出している、大馬鹿」が私、と言うことになるでしょう。

 元々このような性格を持っていた私に、さらに追い打ちをかけるように影響を与えたのが星名先生、岡先生です。 「星名理論と岡理論27からのラグビーの戦略の順序と時間配分」にお二人の考え方が詳しく書いてあります。
 戦略の順序と時間配分はこちらから

 星名先生と岡先生の影響を受けた私は、直感的に、本能的に、これは先にしておくべきことだと、考えられるものは、あまり深く考えずに、すぐしてしまう性格になってしまいました。とりあえず、先に完了形にして、それから、これをどのように活かしたら良いのか、考え、判断し、行動して、責任を持つ」ようにしています。
                       星名先生
星名先生一人


2021-11-23

作家の山崎雅弘さんのツイート

 作家の山崎雅弘さんのツイートです。

山﨑ツイート
 作家の山崎雅弘さんが、上のようなツイートをされています。
 私は「星名理論と岡理論」の中で書いたように、常識はずれの、慣習やしきたりからも逸脱したようなプレーばかりしてきました。
 星名先生と岡先生の教えを守り、会社に入ってからも、あらゆる常識や前例に反することばかりしてきました。

 でも、私はおかしいのは古い、馬鹿げたしきたりや社風を持っている会社の方で、ビジネスの環境が変われば、それに対応するのが、当たり前だと思って、好き勝手にやっていました。

 山崎さんのツイートを読んで、なんとなく、私のしたことを肯定してもらったような気になったので紹介させてもらいました。

 自分は無口で頭の中まで筋肉ですので、反論は余り出来ませんが、反対の行動はするのではないかと思っています。
 今の日本には反論や反対の意思を、行動でもって表すことが必要なのではないかと思っています。

2021-10-30

星名理論と岡理論 25  星名理論を実践した京都大学

 星名理論を実践したのは同志社と京大だけ

 星名先生の理論を実践したのは、残念ですが同志社でも私の時代だけです。他には星名先生が京都大学の出身で、京大も指導していたので同時期に京大も実践していました。

 当時の京大は非常に強くて大学選手権にも出場していました。特にバックスは小粒でしたが足が速く、良い選手が揃っていました。京都の高校出身者が多く、その頃の花園経験者も結構いました。私が高校1年生の時は、洛北高校、2年生の時は同志社高校、3年生の時は鴨沂(おうき)高校が花園の全国大会に出場し、その洛北(西村、渡辺)、鴨沂(石塚)から同志社大学へ、洛北(和田)、鴨沂(中村、宮崎)から京都大学に進んだ選手がいたので、選手同士も顔見知りでした。

 特に4年生の時の京大との試合は私には忘れられないものでした。前半は京大の早い試合運びに振り回され、リードされてゴール前まで攻め込まれていた時にそのプレーは起きました。

 ゴールポスト前のラックで京大はセンターの宮崎が反対側の私のサイドに走りこんで来たので、相手が3人こちらが2人でこちらが一人少ない場面になるところでした。

 私が宮崎に向かってタックルに行けば、宮崎はパスをして残りは2対1となり、簡単にトライされます。また私が宮崎にタックルに行かず、私の対面の選手にタックルに行くと、宮崎はパスをせずに私の背中を抜いて、走ってトライをします。これは宮崎の得意のプレーの一つで、彼が判断ミスやパスのタイミングを外すことはないと思いました。

 私は宮崎の方向に向かって少し走り、すぐ私の対面の選手の方向へ向きを変えて、またすぐ方向を私がスタートした場所へ戻る、丸く円を描くような走りをしました。その間宮崎の顔も方向も一度も見ていません。タックルのために姿勢を低くする間もなく、宮崎と正面衝突するような形でぶつかり、抱きかかえるような形でタックルをしました。

 その瞬間宮崎が「ナイスタックル」と口走りました。

 数十年経ち、宮崎(故人)と最後に会った時に、この時の話になり、「お前のタックルがなかったら京大は同志社に勝っていた」「俺もそう思う、あの時の京大の勢いはすごかったので、もしあそこでトライを取られていたら、後半巻き返すこともできなかったと思う」

 「一度ゆっくりこの話をしたい」と言ったのが、宮崎の最後の言葉で、数年後、彼は永眠しました。

 「お前のタックルがなかったら京大は同志社に勝っていた」。その年は同志社大学が関西大学リーグで10年連続優勝した時でしたので、「たら」「れば」の仮定の話は負け惜しみになるので、したくないと、胸にしまっていたのが、思わず口に出てしまったのだと思うと、私自身も、その時は「負けるかもしれない」と感じていたので、もっと早く、宮崎とこの話をしておけばと思いました。

大学1年 1964年 京大戦 同大が全勝優勝 浦野トライの写真
 4年生の時の京都大学との新聞記事がなかったので1年生の時の私のトライの写真です。

 星名理論と岡理論 2」はこちらです。

2021-10-27

星名理論と岡理論 24 星名理論を明治戦で実証

明治戦で6トライ

 星名先生の「タックルポイントはアタックする側が決める」と言う、従来の理論と正反対の地動説的な考え方は岡先生の「バックスの役割はFW(フォワード)を前に走らせる事」と非常に相性が良かった。私は岡先生の理論も正しいと思っていたので、試合でも「FWをどう前に走らせるか」ばかり考えていました。

 私は 星名先生の教え通り、極端に浅い(相手に近い)ポジションに立っていたので、ゲインラインを突破すると、相手のFWのバックアップは届かないので、トライに結びつく事が多かった。でも、私自身は自分がトライをする事など、あまり考えたことはありませんでした。フォローしている選手にどのようにしてトライをさせるかばかり考えていました。

 大学4年の明治大学との定期戦で試合の3日前の練習で左手指4本を痛め、手が倍ほどに腫れ上がり、使えなくなりました。指4本が全く動かないので、下の写真のように左手をテーピングで固定したのでパスができず、タックルも普通にはできないので初めてヘッドキャップをかぶりました。


4年明治戦 写真
 試合中に左手がどんどん痛くなり、パスがほとんどできなくなり、ボールを持つとトライするまで走るしかなくなった。その結果、6トライすることになってしまいました。
4年明治戦記事写真
4年明治戦記記事 J.
 ここでは星名先生の極端に浅いアタックラインの凄さ(敵のカバーディフェンスは届かない)を立証することになりました。
  突破している位置が普通のアタックラインで突破する場合と比べ、5メートル以上前なので、突破した時点でもうゲインラインは超えており、敵のカバーディフェンスは後ろに向かって走ることになるため、ほとんど私に届くことはありませんでした。

 いつもなら突破するとすぐ、パスを繋ぐコースを探すのですが、、この日はパスができなかったので、仕方なく、自分でトライをするコースを探しました。

 星名理論と岡理論  1 はこちらからご覧になれます。 

2021-10-26

星名理論と岡理論 23  岡先生の選手起用方針

  最強の選手15人で戦う

形のないのが同志社の形

 岡先生の選手起用方針にも個性や自分の直感を元に、独自の考え方をお持ちのようでした。

 まず、選手の高校の時のポジションや体格は全く関係ない。現在の選手の中で、最強のメンバーを最適のポジションで15人試合に出させたいとの考えをお持ちのようでした。当時のルールではけが人が出ても選手交代はできなかったので、これも当然だと思いました。

 例えば、フォワード(FW)とバックスを見比べれると、当時の同志社はFWに優秀な選手が多いようでした。FWに10人の優秀な選手がいるのに、試合ではFWに8人しか出せないのであれば、残りの二人をバックスの選手として、試合に出させる。

 それもその選手の卒業後のことも視野に入れて、バックスの経験をさせたいとのことでした。

 私が2年生で初めて星名先生の指導を受けた時、同期でフォワードの第3列の石塚を私の横のセンターにしました。彼は同志社が全国制覇した時のナンバ−8の石塚(日本代表の主将)さんの弟で、私と一緒に1年生の時から試合に出ていて、前年度の4年生が4人も卒業したフォワードの中心選手でした。

私は岡先生のその理由を聞きました。

岡先生 グランドの写真「チーム全体を見ると、FWに良い選手が多い。石塚は足も速いし、ラグビーセンスも良い。何よりフォワードの選手なので、ラックなどの球の処理が抜群だし、彼がバックスにいるとフォワードの選手が一人多いので、ラックなども有利に戦える。彼は将来FWに戻ることになるが、バックスでお前とコンビを組んだ経験は彼のプレーを格段に進歩させられる」とのことで、納得しました。

 石塚は結局、同志社では最後まで私とコンビを組んでセンターでしたが、新日鉄釜石に入ると、今度はナンバー8に戻って活躍していました。

 岡先生の記事 「フランスの金髪のラグビー選手」の話はこちらから

2021-10-24

星名理論と岡理論 22 ラグビーは自由と変化が基本 6

 プレーの予測が重要、そのためにはイメージトレーニング


 ラグビーの局面は常に非常に流動的で、ボールを持って一秒後には全く想像とは違った局面にぶつかります。自分以外の他の29人の動きを全て想定する事は不可能です。

 しかし、自分の周囲数人の動きは想定しておく必要はあります。自分にパスをする選手、自分がボールを持ったらパスをする選手、それぞれのマークの敵の選手、敵のカバーディフェンスの選手(フルバック、フランカー等スクラムの第3列)、の動きです。

 大学選手権に出て来る位のチームになると、FW、バックスともにほぼ一定のレベルのプレーは全て出来ると考えられます。と言う事はある程度の選手の動きの予測は可能だと言う事です。

 例えば、アタックでインサイドセンターをしている時、自分の対面の動きは最初の立ち位置を確認した段階で、後は相手を見なくても、相手の走って来るコース等の予想はつきます。

 なぜなら相手は私にタックルをしに来る訳で、私の動きに相手が合わせるので、私の動きとはあまり無関係な動きはしないからです。

 相手ディフェンスの対面の選手が私の立っている位置の正面に立ち、私がスタートした後真直ぐ前に走ったら、相手も私に向かってまっすぐ走ってくるので、走った時間、距離等でタックルポイントは予測できます。その予測した時間までは、相手を見る必要は無く、その他の選手の動きを見て最適のオプションを探します。

星名理論 概念図2
インサイドセンターで突破した場合、当然相手のカバーディフェンス(フランカーなど)が直ぐタックルに来るのは当然で、そのコースは事前に頭に入れておかなければなりません。そしてそのカバーディフェンスのタックルのコースに走り込む前に次にパスが出来るかどうか事前にイメージしておく必要があります。

 そしてパスが出来る可能性が少ない場合には自分で突破するのを止めて、パスをする、キックをする等次のオプションを選びます。

 ここまで事前にイメージを作り上げ、実際のゲームに臨みます。

 下の図が星名理論の概念図2の続きです。自分のマークを抜いた後で、敵の赤い線がイメージしていたディフェンスの選手の動きです。



星名理論 概念図5


 ラグビーにはこの予測と言う事が重要です。予測をすると言う事は、その時の相手、味方、自分の動きのイメージが出来上がっていると言う事です。このイメージなしに予測は出来ません。
 予測ですから当然実際と違う事があります。その違いが何故起こったかを検証し、また新しいイメージを作り上げる事です。それを日々に練習で、また試合で実践する事でより正確なプレーの予測が可能になってきます。
 私はこのイメージトレーニングを高校1年生の時から、毎日繰り返してきたから、成長が早かったわけです。

 岡先生の記事はこちらから

2021-10-23

星名理論と岡理論 21 ラグビーは自由と変化が基本 5

 ラグビーのDNA(遺伝子)についてラグビーは流動的.

 ラグビーは選手相互が影響し合い、依存し合いながら一つのチームとして生き物の様に変化して行く物です。大学ラグビーは1年毎チームを作る事になりますが、そのチームの体質の様なプレイスタイル(DNAの様な物)は1年で出来る物ではありません。

 インサイドセンター(1CTB)が突破する場合、走るコース、パスを受けるタイミング等一つの形を持っていると、アウトサイドセンター(2CTB)はインサイドセンターが突破しに入った場合、事前にそれを予測する事が可能です。

 例えば、私の場合、下の図の様に、ディフェンスの対面の正面か内側に立った場合、ほとんどの場合、外へ抜きます。また逆に対面の外側に立った場合は内側に突破しに入ります。もちろんとっさの判断でその逆の場合も時にはありますが。

 アウトサイドセンターは私の立ち位置で次のプレーを予測することができます。

星名理論 概念図5

 そうするとアウトサイドセンターはインサイドセンターが突破する事を予測し、早く顔を出す様にディフェンスラインの裏側に走り込みます。

 良いタイミングで顔を出すとインサイドセンターはカバーディフェンスにタックルされる前に外へパスをつなぐ事が出来、パスはうまくつながり、チャンスは大きく広がります。

 ところが突破する形を持っていなくて突破すると、アウトサイドセンターが顔を出すのが遅れ、抜いた選手はパスをする相手がいないので、パスをする事が出来ずにタックルされるまで走る事になります。

 アウトサイドセンターは顔を出す事が出来て、パスを受ける事が出来てから、その次のプレーに移る訳ですが、そこでパスを受けない限り、次のプレーを経験する事は無い訳です。 そのようなゲームを繰り返しシーズンが深くなって来たら、いつまでたってもその次のプレーの精度を上げる事が出来ません。

 同じ事はインサイドセンターについても言える事です。自分が突破したとき、アウトサイドセンターが顔を出すのが遅れたらパスをする事が出来ず、自分でそのまま走り続け、タックルされてしまい、何処で、どのようなパスをしたら良いのかタイミングがつかめず、分からないままになってしまいます。

 この様に、この二人の選手は相互に依存し、影響し合っているので、両方が同時に機能した時に初めて更に外側の選手や他の選手につなぐプレーを体験し、その精度を増して成長して行く物です。




 

2021-10-22

星名理論と岡理論 20 ラグビーは自由と変化が基本 4

ラグビーは流動的でプレーのオプションがあまりに多様

「ラグビーは自由で変化が基本 3」の続きです。

ラグビーは変化が基本
 最善、最適のプレーのオプションを選ぶ判断力は実戦で経験を積むことで高めることが一番良いのですが、ラグビーのゲームは非常に流動的であまりにもプレーのオプションが豊富なため、実戦で全く同じ様な場面に出会うことはあまりありません。

 ラグビーのプレイは相手選手と自分のチームメートに相互に依存して、相互に影響してくるからです。

 あるチームとの試合でうまく突破してうまくつなげた判断も、同じチームと次の試合で全く同じ様にプレーをしてもうまく行かない時の方が多くあります。当然相手は失敗に対して修正してくるし、自分のチームの隣の選手の動きも前回と少し違って来る可能性があります。

 それぞれのプレーヤーの動きが少し違うだけでも、実際のゲームでは全く違う場面の様に感じられます。

 私がボールを持って歩いてトライを導いたのは生涯一度だけで、あの様な場面にはそれ以前もそれ以後も一度も出会っていません。

 あの瞬間に歩くと言うオプションを選べることが出来たのはイメージトレーニングにあります。レベルが低い相手には突破すればそのままトライできます。しかしレベルの高い相手では必ずカバーディフェンスがあるので、自分でトライは出来ません。パスを次の選手につなげる必要があります。

 毎日の練習、ゲームが終わる度に自分のプレーを思い浮かべ、うまくつなげるにはどのようにすれば良かったのかイメージしていました。インサイドセンター(1CTB)で突破した場合、通常パスをつなげる相手はアウトサイドセンター(2CTB)になります。

 浅いアタックラインを引いていても、インサイドセンターが突破して、アウトサイドセンターがディフェンスラインの裏に顔出すのには少し時間がかかります。

 この顔を出すまでの時間をどうやって稼ぐかいろいろイメージしていました。図の様に横へ走ってカバーディフェンスとのコンタクトポイントをずらす、真直ぐ走ってタックルをされながら深い角度でパスをするなどです。

星名理論 概念図5

 そのイメージトレーニングの中のオプションの一つとして自分のマークを外して時点でスピードを殺し、アウトサイドセンターが顔を出せる状態になってからスピードを出して真直ぐ前に走り、タックルされる寸前に真横にパスを通すと言うのがありました。

 これはほぼ同じ様な場面で実際のゲームでも何度か実践したことがあります。

 ニュージーランドで歩いたのは、インターセプトをすることになったのでフォローが大分時間がかかると思ったので、スピードを殺すだけでは駄目で、歩かないと時間が稼げないと思った訳です。

 私の場合は多くのプレーが既にイメージトレーニングで経験したものです。