星名理論と岡理論のホームページを作成しています。
私の名前、Yujiはスペイン語ではユーヒと発音します。 YouTubeで夕陽をsunsetとして、それに愛犬ルディの誕生日の1月11日を加え、sunset111をIDとしました。 私は同志社大学でラグビーをしていた時、コペルニクス的な展開を体験をしました。私が今、正に天動説の時代に生きている時に、全く真逆の地動説を初めて聞いたような衝撃でした。二人のラグビー界のレジェンド、星名 秦 (Hoshina Shin) 先生と岡 仁詩 (`Oka Hitoshi )先生に、今までの常識で前提となっていた考え方と全く真逆な考え方を教えてもらい、以後私の考え方は常識や前例に囚われない主体的な自由で柔軟なものになり、その後の私の人生に大きな影響を与えました。
2022-03-03
星名理論と岡理論 80 星名理論と岡理論のホームページ
星名理論と岡理論 79 主体的思考とそれを主張し発信することが重要
星名先生に教えていただいたラグビーのルールを正しく理解すれば、「相手のディフェンスの出方に合わせて、自分のアタックの出方を合わせるのではなく、自分のアタックの出方に相手のディフェンスの出方を合わせさせることができる」と言う、主体的思考は私の生き方にまで影響を与えた様です。
星名理論と岡理論 78 キーワードの選択について
無口で、字が汚く、人前で話すことが苦手な私は、ラグビーとマーケティング以外の語彙がほとんど頭に浮かびませんでした。結構早い時期にパソコンを使う様になり、また岡先生に言葉の選択を教えてもらいました。
同志社大学が林、大八木、平尾などで強かった時、夏合宿にFW のコーチとしてニュージーランドのカンタベリー大学のホックリーさんを呼んで、初めてモールの技術を導入しました。ホックリーさんはカンタベリー大学が日本に遠征した時のキャプテンで、全同志社で対戦し、また私が大学2年生の終わりの春休みに全同志社でニュージーランドに遠征した時に、いろいろ世話をしてくれた人でした。
そのホックリーさんが初めて同志社に(おそらく日本でも初めて)モールの技術を教えてくれました。
岡先生はFWの古いOBに練習中に声を上げて指導することを禁止したことがあります。多くのOBがモールに「突っ込め」と言う表現で、選手に言っていたからです。
当時はラックとモールの区別もできない時で、ほどんどのOBはモールのように立って組んで押すと言う意識がありませんでした。
昔のルーズ(ラック)のように、寝転がるプレーが多い時に、「突っ込め」と言う様な言葉は「diving、飛び込め」と言う様なイメージになるからです。
ホックリーさんが教えている「get in the moul,and walk」と言う、重要な「モールに入り、足を動かし、前に進むこと」の意識を全員に徹底させたかったとのことです。
元々知っている語彙が少なかった私は、もっと的確な表現をしないとまずいのか、と感じて、それ以後、使う言葉を選ぶ様になりました。
パソコンは私にとっては強力な武器になりました。字が汚いのは気にすることはなく、また変更や構成を変えることも簡単で、使う単語も色々候補が出てきます。
例えば、星名先生の「タックルポイントはディフェンス側が決めると思い込んでいたのを、アタックする側(自分)が決めることもできる」と言う考え方を、どう言う言葉で表現するかを考えた時、「自発的、自主的、主体的」などの単語が浮かんできて、それぞれの意味を調べました。
「自主的」はやり方・行動のとり方に重きが置かれます。人から助けてもらうことなく、独立・自立して自分で行うさまを指します。
一方「自発的」は理由・行動のきっかけに重きが置かれます。他人は関係なく自分の中からモチベーションが生まれて、行動するに至ったという意味合いです。
例えば、友達から言われて筋トレを始め、筋トレ方法は自分で調べて一人で実行する場合、自主的ですが自発的ではありません。逆に、自分の意志で筋トレを始めたが、一人ではできずトレーナーに手伝ってもらう場合は、自発的ですが自主的ではありません。
「主体的」は、自分の意志で行動するという意味(自発的)と自分で独立して行動する(自主的)の両方の意味があります。
その結果、星名先生の理論を主体的思考として書くことにしました。
以後は、タイトルや見出し、キーワードになる様な言葉には、結構注意して、使う様になりました。
星名理論と岡理論 77 岡先生のコーチング理論
大学を卒業して社会人の強豪チームでラグビーをしなかった私に岡先生は「夏合宿だけはコーチに来る様に」と言われました。東京に出た私は約20年ほどは毎夏、2週間ほどの夏休みをとり、同志社大学の夏合宿に参加し、大学選手権で同志社が上京したときは、宿舎のホテルに同宿しました。
2021-11-27
星名理論と岡理論 48 丸紅で星名理論を実践
丸紅、人事部の倉田さん、
東京へ出た私は同期の伊藤(故人、同志社が大学選手権で優勝した時の監督)が商社の丸紅でラグビーをしていて誘われました。丸紅は商社リーグというのに入っていて、チームメートというシステムがあり、数名の社外の人間も登録して試合に出られるとのことでした。
当時の丸紅は、人事部の倉田さん(故人、京大卒)が京大や同志社や慶應の選手を集めていて、同期の宮崎(京大で私と同じポジション)もいて、スクラムハーフ、伊藤、スタンドオフ宮崎、なので、星名先生の理論を実践できるとのことで、丸紅でラグビーをやらしてもらうことにしました。
一番印象に残っている試合は練習試合ですが、朝日生命(当時関東社会人の1部)との試合でした。倉田さんが、「練習試合なので、丁度京大でスタンドオフをしていた中村孝太郎が東京に遊びにきているので、伊藤、中村のハーフ団に、宮崎、浦野のセンターで楽しんで来い」と言って、送り出してくれました。
京大と同志社は一緒に練習したりしたこともあり、皆同期で顔見知りだったので、楽しい試合でした。
当時はまだ丸紅は社会人の2部か3部位だったのですが、1部の朝日生命のバックスのディフェンスをほとんど触られることなく抜いて、トライを重ねました。
丁度その日は翌年に丸紅に入社する、上智大学のラグビー部のキャプテンが試合を見にきていたので、倉田さんが彼に「うちのバックスはどうや?」と聞いたら、試合が終わって帰ってきた私たちが小さかったり、痩せていたりで、とてもラグビーの選手には見えなかったので、「相手が弱すぎる。上智の2軍レベルですね」と答えたそうです。
その時の朝日生命のセンターは小松、千葉という明治の大型バックスで有名な選手だったのですが。
これを聞いた倉田さんは大喜びで、翌日から私の会社に何度も電話をしてきて、交換の女性に「上智大学の2軍程度のラグビーをする浦野さんと話がしたい」と言うので、会社の中では「浦野さんは、同志社で1年生からレギュラーだったと言う話だったけど、本当は上智大学の2軍程度のプレーしかできない」と言う噂が瞬く間に社内に広がりました。
仕方がないので、私から倉田さんに電話するときには「上智の2軍程度のラグビーをする浦野です」と言って電話することにしました。倉田さんは大喜びでした。
1年生の時の京大戦 京大のメンバー表には石田さん、倉田さん、宮崎など懐かしい名前です。
2021-11-25
星名理論と岡理論 47
ラグビーの大学選手権の早稲田戦で負傷退場
2021-11-24
星名理論と岡理論 46 重要なことは完了形であること。
直感的に、本能的に行動する。
2021-11-23
作家の山崎雅弘さんのツイート
作家の山崎雅弘さんのツイートです。
2021-10-30
星名理論と岡理論 25 星名理論を実践した京都大学
星名理論を実践したのは同志社と京大だけ
星名先生の理論を実践したのは、残念ですが同志社でも私の時代だけです。他には星名先生が京都大学の出身で、京大も指導していたので同時期に京大も実践していました。
当時の京大は非常に強くて大学選手権にも出場していました。特にバックスは小粒でしたが足が速く、良い選手が揃っていました。京都の高校出身者が多く、その頃の花園経験者も結構いました。私が高校1年生の時は、洛北高校、2年生の時は同志社高校、3年生の時は鴨沂(おうき)高校が花園の全国大会に出場し、その洛北(西村、渡辺)、鴨沂(石塚)から同志社大学へ、洛北(和田)、鴨沂(中村、宮崎)から京都大学に進んだ選手がいたので、選手同士も顔見知りでした。
特に4年生の時の京大との試合は私には忘れられないものでした。前半は京大の早い試合運びに振り回され、リードされてゴール前まで攻め込まれていた時にそのプレーは起きました。
ゴールポスト前のラックで京大はセンターの宮崎が反対側の私のサイドに走りこんで来たので、相手が3人こちらが2人でこちらが一人少ない場面になるところでした。
私が宮崎に向かってタックルに行けば、宮崎はパスをして残りは2対1となり、簡単にトライされます。また私が宮崎にタックルに行かず、私の対面の選手にタックルに行くと、宮崎はパスをせずに私の背中を抜いて、走ってトライをします。これは宮崎の得意のプレーの一つで、彼が判断ミスやパスのタイミングを外すことはないと思いました。
私は宮崎の方向に向かって少し走り、すぐ私の対面の選手の方向へ向きを変えて、またすぐ方向を私がスタートした場所へ戻る、丸く円を描くような走りをしました。その間宮崎の顔も方向も一度も見ていません。タックルのために姿勢を低くする間もなく、宮崎と正面衝突するような形でぶつかり、抱きかかえるような形でタックルをしました。
その瞬間宮崎が「ナイスタックル」と口走りました。
数十年経ち、宮崎(故人)と最後に会った時に、この時の話になり、「お前のタックルがなかったら京大は同志社に勝っていた」「俺もそう思う、あの時の京大の勢いはすごかったので、もしあそこでトライを取られていたら、後半巻き返すこともできなかったと思う」
「一度ゆっくりこの話をしたい」と言ったのが、宮崎の最後の言葉で、数年後、彼は永眠しました。
「お前のタックルがなかったら京大は同志社に勝っていた」。その年は同志社大学が関西大学リーグで10年連続優勝した時でしたので、「たら」「れば」の仮定の話は負け惜しみになるので、したくないと、胸にしまっていたのが、思わず口に出てしまったのだと思うと、私自身も、その時は「負けるかもしれない」と感じていたので、もっと早く、宮崎とこの話をしておけばと思いました。
2021-10-27
星名理論と岡理論 24 星名理論を明治戦で実証
明治戦で6トライ
星名先生の「タックルポイントはアタックする側が決める」と言う、従来の理論と正反対の地動説的な考え方は岡先生の「バックスの役割はFW(フォワード)を前に走らせる事」と非常に相性が良かった。私は岡先生の理論も正しいと思っていたので、試合でも「FWをどう前に走らせるか」ばかり考えていました。
私は 星名先生の教え通り、極端に浅い(相手に近い)ポジションに立っていたので、ゲインラインを突破すると、相手のFWのバックアップは届かないので、トライに結びつく事が多かった。でも、私自身は自分がトライをする事など、あまり考えたことはありませんでした。フォローしている選手にどのようにしてトライをさせるかばかり考えていました。
大学4年の明治大学との定期戦で試合の3日前の練習で左手指4本を痛め、手が倍ほどに腫れ上がり、使えなくなりました。指4本が全く動かないので、下の写真のように左手をテーピングで固定したのでパスができず、タックルも普通にはできないので初めてヘッドキャップをかぶりました。
星名理論と岡理論 1 はこちらからご覧になれます。
2021-10-26
星名理論と岡理論 23 岡先生の選手起用方針
最強の選手15人で戦う
岡先生の選手起用方針にも個性や自分の直感を元に、独自の考え方をお持ちのようでした。
まず、選手の高校の時のポジションや体格は全く関係ない。現在の選手の中で、最強のメンバーを最適のポジションで15人試合に出させたいとの考えをお持ちのようでした。当時のルールではけが人が出ても選手交代はできなかったので、これも当然だと思いました。
例えば、フォワード(FW)とバックスを見比べれると、当時の同志社はFWに優秀な選手が多いようでした。FWに10人の優秀な選手がいるのに、試合ではFWに8人しか出せないのであれば、残りの二人をバックスの選手として、試合に出させる。
それもその選手の卒業後のことも視野に入れて、バックスの経験をさせたいとのことでした。
私が2年生で初めて星名先生の指導を受けた時、同期でフォワードの第3列の石塚を私の横のセンターにしました。彼は同志社が全国制覇した時のナンバ−8の石塚(日本代表の主将)さんの弟で、私と一緒に1年生の時から試合に出ていて、前年度の4年生が4人も卒業したフォワードの中心選手でした。
私は岡先生のその理由を聞きました。
「チーム全体を見ると、FWに良い選手が多い。石塚は足も速いし、ラグビーセンスも良い。何よりフォワードの選手なので、ラックなどの球の処理が抜群だし、彼がバックスにいるとフォワードの選手が一人多いので、ラックなども有利に戦える。彼は将来FWに戻ることになるが、バックスでお前とコンビを組んだ経験は彼のプレーを格段に進歩させられる」とのことで、納得しました。
石塚は結局、同志社では最後まで私とコンビを組んでセンターでしたが、新日鉄釜石に入ると、今度はナンバー8に戻って活躍していました。
岡先生の記事 「フランスの金髪のラグビー選手」の話はこちらから
2021-10-24
星名理論と岡理論 22 ラグビーは自由と変化が基本 6
プレーの予測が重要、そのためにはイメージトレーニング
2021-10-23
星名理論と岡理論 21 ラグビーは自由と変化が基本 5
ラグビーは選手相互が影響し合い、依存し合いながら一つのチームとして生き物の様に変化して行く物です。大学ラグビーは1年毎チームを作る事になりますが、そのチームの体質の様なプレイスタイル(DNAの様な物)は1年で出来る物ではありません。
インサイドセンター(1CTB)が突破する場合、走るコース、パスを受けるタイミング等一つの形を持っていると、アウトサイドセンター(2CTB)はインサイドセンターが突破しに入った場合、事前にそれを予測する事が可能です。
例えば、私の場合、下の図の様に、ディフェンスの対面の正面か内側に立った場合、ほとんどの場合、外へ抜きます。また逆に対面の外側に立った場合は内側に突破しに入ります。もちろんとっさの判断でその逆の場合も時にはありますが。
アウトサイドセンターは私の立ち位置で次のプレーを予測することができます。
そうするとアウトサイドセンターはインサイドセンターが突破する事を予測し、早く顔を出す様にディフェンスラインの裏側に走り込みます。
良いタイミングで顔を出すとインサイドセンターはカバーディフェンスにタックルされる前に外へパスをつなぐ事が出来、パスはうまくつながり、チャンスは大きく広がります。
ところが突破する形を持っていなくて突破すると、アウトサイドセンターが顔を出すのが遅れ、抜いた選手はパスをする相手がいないので、パスをする事が出来ずにタックルされるまで走る事になります。
アウトサイドセンターは顔を出す事が出来て、パスを受ける事が出来てから、その次のプレーに移る訳ですが、そこでパスを受けない限り、次のプレーを経験する事は無い訳です。 そのようなゲームを繰り返しシーズンが深くなって来たら、いつまでたってもその次のプレーの精度を上げる事が出来ません。
同じ事はインサイドセンターについても言える事です。自分が突破したとき、アウトサイドセンターが顔を出すのが遅れたらパスをする事が出来ず、自分でそのまま走り続け、タックルされてしまい、何処で、どのようなパスをしたら良いのかタイミングがつかめず、分からないままになってしまいます。
この様に、この二人の選手は相互に依存し、影響し合っているので、両方が同時に機能した時に初めて更に外側の選手や他の選手につなぐプレーを体験し、その精度を増して成長して行く物です。
2021-10-22
星名理論と岡理論 20 ラグビーは自由と変化が基本 4
ラグビーのプレイは相手選手と自分のチームメートに相互に依存して、相互に影響してくるからです。
あるチームとの試合でうまく突破してうまくつなげた判断も、同じチームと次の試合で全く同じ様にプレーをしてもうまく行かない時の方が多くあります。当然相手は失敗に対して修正してくるし、自分のチームの隣の選手の動きも前回と少し違って来る可能性があります。
それぞれのプレーヤーの動きが少し違うだけでも、実際のゲームでは全く違う場面の様に感じられます。
私がボールを持って歩いてトライを導いたのは生涯一度だけで、あの様な場面にはそれ以前もそれ以後も一度も出会っていません。
あの瞬間に歩くと言うオプションを選べることが出来たのはイメージトレーニングにあります。レベルが低い相手には突破すればそのままトライできます。しかしレベルの高い相手では必ずカバーディフェンスがあるので、自分でトライは出来ません。パスを次の選手につなげる必要があります。
毎日の練習、ゲームが終わる度に自分のプレーを思い浮かべ、うまくつなげるにはどのようにすれば良かったのかイメージしていました。インサイドセンター(1CTB)で突破した場合、通常パスをつなげる相手はアウトサイドセンター(2CTB)になります。
浅いアタックラインを引いていても、インサイドセンターが突破して、アウトサイドセンターがディフェンスラインの裏に顔出すのには少し時間がかかります。
この顔を出すまでの時間をどうやって稼ぐかいろいろイメージしていました。図の様に横へ走ってカバーディフェンスとのコンタクトポイントをずらす、真直ぐ走ってタックルをされながら深い角度でパスをするなどです。
そのイメージトレーニングの中のオプションの一つとして自分のマークを外して時点でスピードを殺し、アウトサイドセンターが顔を出せる状態になってからスピードを出して真直ぐ前に走り、タックルされる寸前に真横にパスを通すと言うのがありました。
これはほぼ同じ様な場面で実際のゲームでも何度か実践したことがあります。
ニュージーランドで歩いたのは、インターセプトをすることになったのでフォローが大分時間がかかると思ったので、スピードを殺すだけでは駄目で、歩かないと時間が稼げないと思った訳です。
私の場合は多くのプレーが既にイメージトレーニングで経験したものです。