星名先生の理論と岡先生の理論   1-10 (時系列)

星名理論と岡理論 1 

  最近のラグビーのファンの方では名前も聞いたことがない、もしかしたら60歳以上の人でラグビー経験者だと知っているかもしれない、二人のラグビーの名選手のラグビーに対する考え方です。

 同志社大学のラグビーが最盛期の頃、林、大八木、平尾などで大学選手権3連覇をした頃の同志社のラグビーの基礎となる考え方を構築したのが、星名 秦(Hoshina Shin)先生と岡 仁詩(Oka Hitoshi)のお二人の先生です。



星名 秦 (Hoshina Shin) 先生


岡 仁詩 (Oka Hitoshi)先生


             星名先生の理論について


星名先生との出会い


 1964年、大学2年生の春の練習に、突如同志社のグランドに星名(Hoshina)先生がやってきた。その時には星名先生がどのような人とも知らず、岡(Oka)先生にいろいろ指示をしていたので、同志社のOBかと思っていた。

 星名先生は岡先生にラグビーを教えた人で、京都大学の戦前のラグビーの名選手で京都大学を日本一に導いただけでなく、5種競技でもアジア大会で優勝した文武に優れた人で、同志社大学の工学部を創設し、後に同志社大学の学長になった人である。

 

 以上は岡先生から聞いた話だが、当時は工学部の教授をされていて60歳前後だったと記憶している。

 

アタックディフェンスの練習をしていると突然星名先生が私のところにやってきて、「浦野君、もっと浅く、スタンドオフの横に立ちたまえ、スタンドオフのスタートと同時か、それより少し早く真直ぐにスタートしてそれから横へ伸びてボールをもらいなさい」。


私が星名先生の意図がわからず躊躇していると、つかつかとやってきて、私の両肩をつかみ、スタンドオフの真横に立たせた。

ハーフがボールを持ち上げると同時にスタンドオフがスタートするより早く、私の両肩を突き飛ばし、「真直ぐ走り、スタンドオフがパスをする瞬間に横に伸びてボールを受けなさい」「こんなに早くスタートしたらボールを持つ前にディフェンスとぶつかります」「ボールを持っていない君に相手がタックルするわけがないだろう、ノーボールタックルになるじゃないか、ボールを持っていない君がディフェンスに向かって走っていけば相手は立ち止まって待つしかない、立ち止まって待っている相手と助走をつけて走っている君が競走すれば君のほうが勝つのに決まっているではないか」「理論的にはそうかもしれませんが実践ではそうは行かないのでは」「実践できない理論などない。理論が正しければ必ず実践できる」


 この星名先生の言葉は、私のプレーの前提となる常識を完全に覆すもので、この時のやりとりは今でもはっきりと覚えています。

 天動説を信じてた時、突然地動説を聞いたようなものでした。


 星名先生の情報はこちらです。

 岡先生の「教わり教え教えられ」はこちらから

 この色で書いている部分は私が同志社大学ラグビー部のOB会に寄稿したものの一部です。

 全文は右の欄のページリスト、「星名先生の理論の全文」をクリックすれば読むことができます。


星名理論と岡理論 2


星名秦先生のファミリー写真


当時のバックスのアタックラインは深い(ゲインライン、敵から遠い)のが主流でした。同志社はその頃珍しい浅いアタックラインで、その中でも私は最も浅い位置に立ちプレーができる選手だと自負していました。

 

 1963年3月に第一回の日本選手権があり、同志社は八幡製鉄、近鉄を破り、優勝しました。私はその1ヶ月後の4月に同志社大学に入学しましたが、その年の6月にはもう1軍に入れてもらっていました。

 秋からはシーズンが始まり、左センターで、その時のコンビを組んだ左ウイングは坂田さんで、国際ラグビーの殿堂入りされた、世界的な選手でした。

  坂田さんの詳しい情報はこちらから

 

 1年生から1軍に入れたのは、私がアタックの時、突破する位置が非常に浅い(敵のゴールラインに近い)のでトライに結びつき易いのが評価されたものです。

 しかし、星名先生の「スタンドオフの横に立ち、さらにスタンドオフより先にスタートしろ」には本当にびっくりしました。このようなことは考えたこともありませんでした。

 

このような会話からはじまった星名先生の指導はそれから毎日続いた。

しかし練習ではなかなかうまくいかなかった。ディフェンスの選手が二人の会話を聞いて私の走るコースを読んであまりスピードを落とさずに私の次に走るコースへ走ってくるからだ。

 

 練習ではうまくいかないので、次は試合で試すことにした。中部自衛隊との練習試合があるのでその時に試すことにした。

 ところが試合ではもっと悲惨だった。向かってくる相手にはタックルすることしか考えていない自衛隊のセンターはまったくボールを持っていない私にタックルを繰り返した。

 レフリーもボールを持っているスタンドオフより前に走って行く私とまだボールも持っていない私にタックルする自衛隊の選手を見て何か不思議なことが起きているように見ているだけで、何度もノーボールタックルされている私を見ていながら一度も笛を吹かなかった。


 

  レフリーがノーボールタックルを取らなかった理由は



                     岡先生

 

 岡先生のラグビーに対する考え方は 岡先生講演録 をご覧ください。

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星名理論と岡理論 3

星名先生と岡先生


岡まり子(写真の子供)さんの提供

 レフリーは私の高校の後輩でした。FWの選手でレフリーの勉強をしたいとのことで、時々笛を吹いていました。FWの選手で練習をしていたので、私達、バックスがどのような練習をしていたのかは知りませんでした。

 レフリーが後輩だったので試合後何故笛を吹かなかったのか聞いてみたら思いもかけない返事が返ってきた。「最初は浦野さんのオブストラクション(SOにタックルしようとしている選手を妨害した)を取ろうと思った。しかしコースが妨害していなかったので吹かなかった」

 

  二人の会話を聞いていた星名先生は、笑いながら「レフリーが理解するのにもう少し時間がかかるかな。誰も見たことがないプレーだから。しかし、これからの日本のラグビーはこうなる。体格で劣り、足の遅い日本のラグビーが世界に対抗していくには、浅いラインで早くアドバンテージラインを突破しなければ、深いところでいくら抜いても足の速い外人のフォワードのバックアップを振り切ることはできない」と言って気にかけている様子はなかった。

 

 事実数年後には早稲田の大西先生が監督、同志社の岡先生がコーチ、三菱自工の横井さんが主将の日本代表が「接近」「展開」「連続」と言うテーマで、世界の注目を集めることになった。



 ここに出てくる横井さんは「横井章の魅力あるラグビーの作者です。

 日本のラグビーのレジェンドの一人で、退職後、帝京大学、関西学院大学、京都成章高校など100校以上を指導し、素晴らしい実績を上げられています。

 

 

 岡先生のラグビーに対する考え方は 岡先生講演録 をご覧ください。

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星名理論と岡理論 4

 星名先生




星名理論の概念図1

 

 それぞれの選手が自分のマークにタックルする場所を結んだタックルラインが想定できます。通常これはアタック側とディフェンス側の中間地点だと想定できます。これはディフェンス側の出足にアタック側が合わせて決まってくるものだと思っていました。

 所が、アタック側が浅いライン(横一列)で直線的に出ると、ディフェンス側がまっすぐ出ると、ボールを持っていない選手とぶつかり(ノーボールタックル)反則となるので、途中で立ち止まって、ボールを受け取るまで待つしかありません。

 これはタックルラインをアタック側が決めることができる、今までとは真逆の考え方で、まさに天動説から地動説に変わったような衝撃でした。


 アタックはスタンドオフの横一線に並ぶ。ハーフがボールを持つ前にインサイドセンターが真っ直ぐにスタート、スタンドオフも真っ直ぐにスタート、インサイドセンターが横に走りだすと長いパスを送る。

 スタンドオフではディフェンスのタックルは届かないが、相手のインサイドセンターは普通に真っ直ぐ前に出ると、まだボールを持っていない選手にタックルをすることになるので、途中で立ち止まるしかない。立ち止まっている選手に対し、加速をつけて走りこむのでアタック側のインサイドセンターの方が有利である。


夏の合宿のころからスタンドオフより速くスタートし、横に伸びて受けるという形はある程度マスターできるようになった。

秋の関西リーグが始まる頃にはもうほとんどマスターし、ほぼ自由に走れるようになった。試合ではSOとのタイミングの取り方に難しさがあったが、タイミングがうまく取れたときにはほとんど抜くことが出来た。そして抜いた後はウイングまでボールが回るとスクラムからでもゴールラインまで届いてしまった。


          岡先生のラグビーに対する考え方は 岡先生講演録 をご覧ください。

   

   星名秦先生についてはこちらをクリックしてください。

   星名理論のPDFはこちらからダウンロードできます。


星名理論と岡理論 5

 星名秦(Hoshina)先生の理論について4回続いたので、次に岡仁詩(Oka)先生の理論について書きたいと思います。




 岡先生のラグビーに対する考え方は岡先生講演録「教わり、教え、教えられ」が一番分かりやすい思います。しかし、ここには主にコーチングからの視点でもって話されているので、技術的な、ゲームの戦略的なことについては何も話されていません。


 岡先生の講演が記録されたのが2005年11月9日で、永眠されたのが2007年5月11日なので、この公演が最後だったのではと、推測しています。私が最後に先生にお会いしたのは、スペインに移住する前に京都で岡先生と先生の奥様と一緒にお茶を飲んだ時で、最後に日本に帰った時、もう10年以上前ですが、家にお邪魔して遺影にお会いすることになりました。


 この講演録の中で、岡先生は私のことについても触れられています。


 一つの形を基本のように思うと、その形が身につくように練習しなければいけないと考えます。それが束縛になって、自由な発想、創造、発展の可能性をなくします。

 スポーツのコーチングで一番大切なのは、基本とは何かを分析する能力です。たとえば野球のバッティングフォーム、ラグビーのいろいろなパスプレー。それらを分析して最後に残ったものを基本として、そしてどのような方法で練習するのかだと思います。

 繰り返しますが、形を基本だと間違えてとらえられているのは日本のスポーツの中には多かったように思います。

自主性を引き出すコーチング

 同志社OBの平尾誠二にある時、「バックスのコーチは同志社のOBの中で誰がいいかな」と聞いたら、「浦野さんでしょう」と答えました。浦野は一九六八年卒業の同志社高校出身の選手です。それを聞いてなるほどと思いました。「鬼ごっこのうまいのがバックスの選手として一番いい」と言ったのは奇しくも浦野と平尾であり、二人とも名プレーヤーでした。

 鬼ごっこは捕まらないように、体をかわす。そのための相手との間合いをとる、かわすタイミングがある、いろいろな走り方がある。鬼ごっこの中にラグビーに必要なランニングの要素があるわけです。


 岡先生のラグビーの戦略などについて私の知っていることを書いてみます。



星名理論と岡理論 6

  私は同志社大学を卒業してからは、社会人の強豪チームでラグビーをしませんでした。

 岡仁詩(Oka Hitosi)先生は私に「夏合宿には必ずコーチとしてくるように」と言われました。東京に勤務した私は先生との約束通り、約20年間、毎夏2週間ほどの夏休みを取り、合宿にコーチとして参加しました。



 岡先生は「たかがラグビー、されどラグビー、俺はラグビーに命をかける」と、言われて、ラグビーにかける思いを私に話をされていました。

 そして岡先生ラグビーとはフォワードのことだと思えるほど、フォワードの強化には執念を燃やしておられました。


岡先生は星名先生の教えを受けているので、 当然同じ考え方だが、 星名先生はバックスのセ ンターであり、 岡先生はフォワードのフランカーであるので、 岡先生の方がフォワードへの思い込 みが感じられた。


岡先生のラグビーの戦略的な発想の根本にあるのは 「ラグビーはFW戦に勝たなければ試合 に勝つことはできない」 と言うものである。 特にNHK杯、 日本選手権で優勝した時代にはスクラム へのこだわりが大きかった。

岡先生が同志社大学のラグビーを率いて、 最初に日本1になったのはNHK杯で優勝した時で ある。 当時はまだ日本選手権というものはなく、社会人の1位と学生の1位がNHK杯を争うことで 日本一を決めていた。 岡先生が率いる同志社大学は1962年にNHK杯を獲得し、 1964年には NHK杯が日本選手権と変わり、 その第1回で優勝した。

当時は圧倒的にFW重視のチームで、 特にスクラムへのこだわりがすごかった。 当時の人に話 を聞くと、「スクラムは組んで押すものではなく、組んで走るもの」と言っていた人がいるくらいであ る。

そして実際の試合で、 スクラムを組んで、押して歩き、最後はそのまま組んだまま走りだし、相 手のフッカー (スクラムの最前列の真ん中の選手)がボールと一緒に転がり出てきた」との逸話も。


さほど大きくない同志社のフォワードがこのようにスクラムで他を圧倒した理由は?


星名理論と岡理論 7

  岡仁詩先生の自由な発想などは星名秦先生の影響が大きかったと思います。





 岡先生の講演録「教わり、教え、教えられ」では次のように書いておられます。


 自分で考え、判断して、行動し、責任を持つ

 星名先生からいろいろなことを教わりました。今はルール上、スクラムは八人でしか組めませんが、当時のルールでは十人でスクラムを組んでもいいのだよと。スクラムの強さが試合を大きく左右することから考えられたのですが、私たち(学生時代)には、全く思いもつかないことで、驚きでした。要するにルールをよく理解すれば何でもできる、決められた形はないということです。


 岡先生は前提となっている常識みたいなものさえ疑って、既成の枠にこだわらない、自由な発想を持っておられたように感じました。


以下は岡先生から聞いた話です。


 スクラムは通常、ハーフがボールをスクラムに転がして入れる時、アタック側のフッカー(スクラ ムの最前列の真ん中の選手)とボールを入れるタイミングを合わせ、フッカーが右足でボールを 味方の側に転がすようにする(フッキング)ので、フッカーはスクラムを押すのは左足だけになる。

 

  岡先生はフッカーがフッキングをするのをやめ、フッカーも両足で押すことを指示した。

ほぼ対等だったスクラムでも後半になると、スクラムを全員で両足で押し続けた差が出てきて、 最初は同等であっても、最後はスクラムを圧倒するようになった。


 時には、マイボールのスクラムでフッカーが自分の側にボールを転がすのではなく、相手側に 蹴り込んで、わざと相手のアタックとして相手のバックスにボールを回させ、バックスが前でタック ルをして相手のFWを後ろに走らせる場面を意図的に作り出した。


 マイボールのスクラムでわざとボールを相手側に渡すので、味方のバックスラインもディフェンスに出られるように最初から浅い位置(相手側に近い位置)に立ち、、スクラムの位置より出来るだけ前でタックルして、味方のFWを後ろに走らせる機会を少なくする。


 バックスにはタックルの強い選手を起用し、ディフェンスで飛び出し、タックルを出来るだけ前で 相手を倒し、FWを前に走らせるようにした。

 

 アタックではバックスは後ろにパスをするので、後ろ にパスをする機会を少なくした。FWのサイドアタックとキックが中心とした。

 

 どれもラグビーの常識からかけ離れている、真逆と言っても良いようなプレーである。


     星名先生についての記事です。



星名秦先生の理論と岡仁詩先生の理論  8 10人スクラム


 岡先生は前提となっている常識みたいなものさえ疑って、既成の枠にこだわらない、自由な発想を持っておられたように感じました。岡仁詩先生の自由な発想などは星名秦先生の影響が大きかったと思います。

 岡先生講演録「教わり、教え、教えられ」では次のように書いておられます。

自分で考え、責任を持つ

 この星名先生の教え通り、大学選手権の準々決勝の日大戦では同志社は10人でスクラムを組みました。「ラグビーはFW戦に勝たなければ試合に勝つことはできない」と考えていた岡先生はFWの特に、スクラムの強化に力を入れておられました。この年もFWは決して弱くはなかったのですが、当時の秩父宮ラグビー場はローム層の上に芝が貼ってあり、いつも正月は芝が剥がれていたり、霜柱が立ち、昼過ぎにはそれが溶けて、上滑りして、それに慣れていない関西のチームは特に、スクラムでは強みを出すことができませんでした。

 3年日大戦、写真 渡辺トライ

     中央で立っているのが私です。

  FW戦が対等ではダメで、最後は特にスクラムで圧倒するために、マイボールのアタックの時は10人でスクラムを押し続けました。前半の同志社大学ははそれでもFW戦で優位に立てず、リードされていましたが、後半になり、10人で押し続けた効果が出て、最後はFW戦も圧倒、逆転勝ちしました。


星名秦先生の理論と岡仁詩先生の理論 9 星名理論の概念図

  タックルラインはアタックする側が決める。

 ラグビーのルールはこれまでも度々変更されてきましたが、今後も不変と思われる二つのプレーがあります。ノーボールタックルの禁止とオフサイドです。

 わかりやすい言葉に言い換えると、ボールを持っていない選手にタックルが禁止されているのと、ボールを持っている選手より、前の位置にいる選手はプレーできないことです。


 星名先生の考え出された「極端に浅いアタックライン」はこの二つのルールを適用したそれまでの常識を全く覆す、天動説が地動説に変わるほどのインパクトのあるものでした。


星名理論 概念図1
 それまでの常識は少し深め(相手より遠い)のアタックラインで、その中間地点に想定できるタックルラインの前でパスをするというのが常識でした。この想定できるタックルラインはディフェンス側の出方(直ぐに飛び出してくるのか、ゆっくり目にラインを揃えて出るなど)により決まってきくるので、タックルラインはディフェンス側が決めるものと思われていました。

 星名先生の理論は、スクラムからボールが出る少し前に1CTBがスタートし(この時点ではまだボールがスクラムから出ていないのでデイフェンスは前に走る事は出来ません)、ボールがスクラムから出ると同時にSOもスタートします。
 
 ディフェンス側からはスクラムからボールが出たことが確認できるのが少し遅れるので、アタック側より遅れてスタートすることになります。
 さらにその時点でアタック側の1CTBはもう既に最初に想定されたタックルラインの近くまで走り込んでおり、まだボールを持っていないのでデイフェンスはタックルに行けず、少し立ち止まらざるをえません。
星名理論 概念図2
 立ち止まっているディフェンスに、アタックは加速をつけて走り込んで、横に走りながらボールを受けるので、ディフェンス側は追いつけません。うまく追いつけてタックルをしたとしてもアドバンテージライン付近になります。

 うまく突破できれば既にアドバンテージラインを超えており、タックルされたとしても味方のフォワードは後ろに走る必要はありません。

星名秦先生の理論と岡仁詩先生の理論 10  星名理論のフォローへの応用

 フォローでもタックルポイントはアタックが決められる。 

  星名先生のアタックする側がタックルライン(ポイント)を自由に決められると言う考え方は私のプレイに大きな変化を与えた。これはセットされた状態でのアタックだけでなくあらゆる場面で適応できるからである。
 
 タックルポイントをアタックする側の自分が自由に決めることができると言うことは、間合も自分が自由に決めることが出来ると言うことであり、従って自分の走るスペースも自分で決められると言うことである。 
 
 例えば、ウイングに内側にフォローしてボールをもらう場合なども、ある程度のレベルのチームとの試合になると、ボールを持って走っている選手がいるとその次にボールを受けるであろう選手に対してももう既にカバーディフェンスのマークがいて、ボールを受けた瞬間にタックルをしようとタイミングを計って走ってきている。
 例えば、下の図の赤丸のポイントへ走り込んでボールをもらいたい場合、そこへ最初から走りこめば受けた瞬間にタックルされる。

星奈理論 概念図 3

 ボールを持っていない時に、青丸の位置に向かって走ることにより、相手の選手はスピードを落とさなければ私とぶつかり、ノーボールタックルとなるため、スピードを落として私がボールを受けるのを待とうとした瞬間に、こちらがスピードを上げ、赤丸のポジションに走りこむことにより、自分が走るスペースを十分に確保してボールをもらうことが出来、受けた瞬間にタックルをされることがなくなるので、次のプレーに備える時間が稼げることができる。
奈理論 概念図 4

 レベルが高くなればなるほど選手間の攻守の技量の差は少なくなりミスも少なくなるので、ほとんどのプレーは予測できることになり、ボールをもって走れる時間が短くなり、一人がボールを持って走る時間が長くなればなるほど防御側が次のパスへの対応を組みなおしてくると考えなければならない。


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