星名先生の理論と岡先生の理論 51−60 (時系列)

星名理論と岡理論51

 他人にはできない、私流のやり方


 星名先生の後押しでマーケティングの仕事についた私は生涯学習のテーマとして歳を取ってからもマーケティングの
勉強しました。
 40歳を過ぎてからも、新しいマーケティングの理論を知るために、AOL(America On Line)を通じて、カリフォルニア大学、バークレィ校 の通信教育でマーケティングの講座を受講し、試験を受けて単位をもらったりしました。
 英語の勉強にはなり、基礎的な理論を再学習することになりましたが、当然ですが実務の細部については、20年近く実際にビジネスとしてマーケティングを実践してきた、私の方が詳しかったです。

 マーケティングのうち、特に詳しいのは広告、広報の分野です。特に新聞、雑誌、テレビなどの古い体質のマスメディアへの情報配信で、現在は新しいメディアのインターネットなどを勉強中です。SEOなども実験しているのも勉強の一つです。
 頭の中まで筋肉の私は「バカは死ぬまで治らない」との例えの通り、死ぬまで大馬鹿で、自分のスタイルを通そうと思っています。

 星名理論と岡理論として書いてきた記事も50回を超えています。まだまだ書きたいことはあるのですが、ラグビー理論として残して、みんなに読んでほしいと思っていた部分は既に書いてあります。

 ぼつぼつこれを既存のマスメディアを通じて、多くの人に読んでもらう為の策を講じる時が来たのか、とも思っています。

 どのような切り口でマスコミにニュースとして流すか、決めておりませんが、他の人には想像もできない、私流のやり方になると思います。
星名先生一人


星名理論と岡理論 52 PERTとドッグイヤービジネスについて
PERT(パート)はビジネスや日常生活で非常に有益

 ラグビーは自由と変化が基本です。
  ラグビーは制約の少ないスポーツです。ボールを持っている選手は前へパスをする以外、何をしても構いません。ボールを後ろにパスをしても、ボールを蹴っても、ボールを持って相手を突き飛ばしても、相手にぶつかって跳ね飛ばしても、前後左右、どこへ向かっても走ることができるし、飛びあがっても、寝転がっても構いません。
 
 楕円球のラグビーボールは地面に接する角度によりどの方向に向かっていくか、予測がつきません。その楕円球に象徴されるように、ラグビーは予測がつきにくいスポーツです。
 チャンスが一つのプレーでピンチになるし、その逆もあります。

 星名先生と岡先生に「天動説が主流の時代に地動説を唱えるような真逆な発想、その真逆な発想から生み出した戦略を、80分間の試合時間の中で、どのような順序で組み立てるか」を教えていただきました。
 また、それをラグビーと言う、30人の選手が入り乱れて、自由に動き回り、数秒後には戦況が大きく変化する競技を、当時日本のトップレベルにあった同志社大学で4年間、経験してきたことは、ビジネスの世界でも有効でした。

 30年以上前、私がGAFAの一つで働いていた時には「ドッグイヤー ビジネス」という言葉が流行っていました。「Dog Year Business, 犬の歳は人の7倍の速さで進むので、それほど商品のライフサイクルが短いビジネスである」という意味です。

 現在はIT技術があらゆる商品に導入され、もう全てのビジネスで、Dog Year と呼んでも良いようなスピードでビジネスの環境が変化していると思います。

 コロナ禍の日本で、コロナの感染者の数をファックスで送って集計しているという話を聞いた時、日本の衰退に驚きました。まさかここまで衰退が進んでいるとは思いませんでした。
 これは作家の山崎雅弘先生のTwitterに書かれているように、「自分で考える作業を中止してる下僕の思考」が日本中に蔓延している結果だと思われます。

山崎、ツイート小

 まず、目の前で起きている不道理には声を上げて、行動するということから始めたいと思います。
 岡先生の言葉で一番印象に残っているものです。
自分で考え、責任を持つ
 
 私が今気づいている不道理は毎日接しているブログのFC2のアクセス数とランキングの関係です。
 なぜ、このような不道理を放置しているのか知りませんが、日々のアクセス数が全く違う数字が二つも公表されていると言う事実は、誰の目にも明らかです。

 ブログがビジネスとして成り立つ初期の時代には、何らかの存在理由があったのかもしれませんが、競合が激しくなり、環境が変化している現在では、不道理があれば見直すべきです。
 
 Japan as number one と言われた国が、今どのような衰退を見せているか、素直に参考にすべきです。

 これは、FC2で働いている人たちだけでなく、ブログを開設している我々の問題でもあると考えるべきです。

岡先生の「戦略を、80分間の試合時間の中で、どのような順序で組み立てるか」はPERTの考え方に似ており、ビジネスに大変役立ちました。
詳しくは「星名理論と岡理論34 戦略の順序と時間配分 8」 をご覧ください。


星名理論と岡理論 53 PERTとドッグイヤービジネスについて

ドッグイヤービジネスの時間感覚

 30年以上前のドッグイヤービジネスの時間感覚というものが、どれほどのものであったか、私の体験を書いてみます。
 30年以上前で、まだ携帯電話もほとんど普及していなくて、ラップトップのパソコンが普及し始めた頃です。ビジネスの現場では書類作成にはタイピストやワープロが重宝されていた時代で、たまたま、私は字が汚く、文章が下手だったので、ワープロ代わりにラップトップのパソコンを買って持っていました。その頃会社の中で、個人でパソコンを持っていたのは、数人だけでした。
 小さい頃ピアノを習わされていたので、指先は器用で、入力は早い方でした。

 主に使っていたのはワープロと表計算のソフトです。当時はまだE-mailもあまり普及していなくて、メールをやりとりする相手があまりいない時でした。

 IT業界に転職して、驚いたのはその時間感覚です。
 電話はほとんど使わず、連絡は全てE-mailでほとんどのメールが送るとすぐ返事が返ってきます。

 プレミアムキャンペーンをすることになったのですが、突然10日後に開始したいとのことでした。普通キャンペーンを企画するときは、3ヶ月か4ヶ月ほど前に、広告代理店にオリエンテーション(キャンペーンの目的や予算、スケジュール)などを示し、数週間後にプレゼンテーション(提案)を受け、その後、発注し作業を開始するものですが、いきなり10日後にキャンペーンを開始するとのことでした。
 
 しかもイメージアップのキャンペーンではなく、プレミアム(景品つき)のキャンペーンとなると、景品の物を用意しなければならないので、更に時間がかかる物です。月曜日に話を聞いて、来週の水曜日から開始だとのことでした。

 アメリカの広告担当者に相談すると、新聞で全ページ(1ページ15段)広告を出したいとか言うので朝日や毎日の広告料金を伝えたら、あまりに高額でびっくりして「新聞の1ページ広告をするだけで新聞社を買うわけではない」と言って、その20%で、する方法を考えてくれとのことでした。

 こんな無茶苦茶な話、どこの広告代理店も相手にしてくれないので、自分で全て企画し、窓口だけ、今まで取引のあった代理店にお願いすることにしました。

 プレミアムの景品は物を作っている時間がないので、現金の返却(キャッシュバック)として、新聞はラグビーの友人のいた毎日新聞に定価の20%(8割引)で交渉しました。
 普通、新聞に初めて広告を出す時は、朝日か読売で毎日は3番目が多いのですが、「朝日、読売にはすぐには広告は出さない、毎日だけに出す」と言う条件をつけて交渉したので、毎日は大喜びで受けてくれました。

 その後、広告を再開するときには今度は朝日と読売の担当者に連絡し、定価の20%で1社だけ予算があるが、返事の早い方に決めると連絡すると、朝日が数時間後に了承の返事を返してきました。

 朝日と読売は激しく争っており、今回両者が相手にしていなかった毎日には既に全ページ広告が出ており、もし今回外れると、1社だけ広告を出してもらえない、広告営業としては屈辱的なことになるので必死だったようです。
 数時間遅れて、読売も了承の返事が返ってきたのですが、約束通り朝日に出稿しました。

 これも岡先生の戦略の実施順序と時間配分の教えの結果で、普通に3社と交渉していたら定価の80%か70%位が妥当なところだったと思います。
岡先生 グランドの写真
岡先生の教えはビジネスでも生きています。

 交渉の順序を毎日新聞を一番最初に持ってきたので、後の2社は追い込まれて、儲けよりメンツを優先した結果です。
 新聞業界は面白い慣習があり、広告料金は定価が印刷されて配布されており、それが基本となり、多くの広告主は長年の広告実績で、持ち単価と言って、その広告主だけの特別割引の単価が決められており、毎年、その持ち単価が基準となり、その単価の値上げ交渉が行われていました。
 
 ある広告主が例えば、朝日新聞に広告を出す時、広告代理店はA社でもB社でも料金は同じで、その広告主の持ち単価が適用されます。日本のトップクラスの広告主の仕事もしたのでその会社の持ち単価も知っていますが、それよりはるかに安い料金でした。

 多分、いきなり日本でも一番安い料金になったのではないかと思います。

星名理論と岡理論 54 PERTとドッグイヤビジネスについて 3

岡先生の長期戦略

 PERTには全体的(場合によっては長期的)な視野が必要になってきます。キャンペーンなどは半年先、1年先のスケジュールを頭に入れて、具体的なプランに落とし込んでいく必要があります。
 ラグビーの試合はわずか80分ですが、毎日の練習やチームづくりには当然、その年の大学選手権を目標にチームを作り上げていきます。

 岡先生のすごい所は1年先だけではなく、数年後のチームや選手の卒業後のことを考えながら、チーム作りや練習を考えておられました。

 私が2年生の時、星名先生が天動説の時代の地動説のような、全く真逆な考え方の極端に浅いアタックラインを同志社に導入された時、岡先生は私の外側のセンターに私と同期のFW(フォワード)の石塚を起用しました。
 石塚は1年生の時からFWのナンバー8(スクラムの最後列)で試合に出ていて、すごいFWの選手が半分の4人も卒業したその年の中心選手でした。その頃は試合には怪我人が出ても、交代は認められなかったので、この時はFWに優秀な選手が多く、FWの選手をバックスで使い、最強のメンバー15人で戦うとのことでした。

 石塚は、同志社が日本選手権で優勝した時のキャプテンで日本代表のキャプテンも務めた、レジェンドの一人の石塚先輩の弟で、体も大きく、足も早く、パスもうまい、すごい選手でした。
 でも、私の動きは、常識はずれの、無茶苦茶なので、予測ができず、私の動きに合わせるのは大変だったみたいです。
 石塚が私の動きに慣れた4年生の春のシーズンに、今度は石塚をフォワードに戻し、2年生のフォワードのフッカー(スクラムの真ん中の選手)の黒坂を私の横のセンターにしました。黒坂は後に日本代表のフッカーにもなった、素晴らしい身体能力を持った選手です。

 これには私もびっくりして岡先生に文句を言いました。「石塚が私の動きにやっと慣れてきたのに、何故、黒坂なのか?石塚をフォワードに戻すのであれば、その後は黒坂と他のバックスの選手と競争させて、勝った方にしたほうがよいのでは?」「黒坂は将来日本代表になれる選手だ。しかし、それだけではなくて、もっとすごい選手になってほしい。そのためにはバックスのプレーも経験させたい。お前の横で、お前の走りについて行き、お前のパスを受けさせたい。来年はお前は卒業していない。今年しかお前と一緒にプレーができない。今ではないといけないんだ」

 と言うことで、春のシーズンは黒坂とコンビを組むことになりました。岡先生には80分間のラグビーの試合での戦略の順序と時間配分だけではなく、1年や数年後を見通した選手育成には、今何をしなければならないのかを考える事を教えてもらいました。

 これは私が全体的な、長期的な視野で仕事を考えるきっかけになりました。PERTの基本となる、まず全体的はスケジュールや必要なプロセスを頭の中に描きながら、どのプロセスを先にやっておかなければならないか、考えるきっかけとなりました。

岡遠征、平尾?
 合宿中の岡先生、後ろ姿は平尾、



星名理論と岡理論 55 PERTとドッグイヤビジネスについて 4

   岡先生には80分間のラグビーの試合での戦略の順序と時間配分だけではなく、1年や数年後を見通した選手育成には、今何をしなければならないのかを考える事を教えてもらいました。

 これは私が全体的な、長期的な視野で仕事を考えるきっかけになりました。PERTの基本となる、まず全体的はスケジュールや必要なプロセスを頭の中に描きながら、どのプロセスを先にやっておかなければならないか、考えるきっかけとなりました。
 
 特に、フォワードの選手の黒坂をいきなり私の横につけ、「お前の横で、お前の走りについて行き、お前のパスを受けさせたい。来年はお前は卒業していない。今年しかお前と一緒にプレーができない。今ではないといけないん」と言われたことは非常に印象に残っています。

 「来年はお前は卒業していない、黒坂は今年しかお前と一緒にプレーができない、今ではないといけないんだ」は「完了形でないと、その可能性は全くなくなってしまうことが、あるんだ」という事を非常に強く感じました。

 広告代理店で課長となり、部下を持った時、私の頭の中にあったのは、年齢や性別には関係なく、できるだけ早くトラブルでも成功体験でも、経験するだろうことは早く経験させたいということでした。
 将来このように育てようと言う未来形ではなくて、今日、このような経験をさせたと言う完了形でなければ意味がないものでした。

自分で考え、責任を持つ

  私には社会常識やしきたりなどほとんど関係のないものでした。
 大学の頃はラグビーのことしか頭になく、卒業してからは仕事のことしか考えていなかったので、社会常識はほとんどなく、業界や会社のしきたりなど気にしたことはなく、「今、やっておくべきことは何か」しか、考えていなくて、しかも、何かする時には、ほぼ、本能的に、直感的にすぐ行動していまい、それから考えて、判断し直して、改めて行動していました。岡理論、1基本とは何か

 自分のこの性格が良いのか悪いのか知りませんが、ドッグイヤービジネスには向いていたような気がします。
 次回はドックイヤービジネスの時間感覚について、もう少し書いてみます。



星名理論と岡理論 56 PERTとドッグイヤービジネスについて 5

  30年以上前のIT業界で、よく使われていた言葉で「ドッグイヤービジネス」は犬は人の7倍の速さで歳を取ることから、商品のライフサイクルが普通の商品の7倍の速さで終わると言う意味です。
 それくらい、早い時間感覚で仕事を進めていました。

 キャンペーンを10日間の準備期間で開始するなどは特別な例ですが、他の仕事も同じような時間感覚でやっていました。でも入社した直後はまだ体制が整っていなかったので、非常に優雅な毎日でした。
 会社が六本木にあり、私は徒歩15分くらいの元麻布に住んでいたので、毎日徒歩出勤でした。夜は懇親会が多く、昼は昼食後、時間がある時はすぐ隣の全日空ホテルのプールで30分ほど泳いだりしていましたが、1ヶ月ほどすると状況が一変しました。

 朝は8時には入り、帰りは夜の12時ごろです。当時は広告と広報を担当していたのですが、広告の方はあまり仕事がなく、キャンペーンの時だけ忙しかったのですが、広報の方は大変でした。
 日本の最大の放送局が当時、アナログ放送だったのですが、デジタル技術との融合した番組づくりをするのでその窓口となってしまいました。
 いろいろな技術的なサポートをするわけですが、私にそんな知識はあるわけは無いので、当時最先端の技術を担当していた男女二人にアメリカとの窓口になってもらいました。
 男性は技術者で英語も私よりは上手くて、女性はMIT(マサチューセッツ工科大学)のメディアラボを卒業したばかりで、日本語はほとんど話せませんでした。

 放送局の要望はあまりにも先進的で、技術的には可能ですが、まだアメリカの放送局でも実施したことのないものでした。打ち合わせは私がセッティングしたのですが、放送局の担当者と技術の日本人が日本語で話し、その後、女性がアメリカの技術者に可能性を確認すると言うものでした。
 そしてその結果を翌日、また同じメンバーで確認し、進めていくというものでした。この二人がいなければ、このプロジェクトが成功することはありませんでした。

 私がした事は打ち合わせで得た知識を放送局の他の部署に行き、更に新しいプロジェクトを押し進めたことでした。いくつかの新しいプロジェクトが立ち上がり、毎晩いくつものプロジェクトの会議が行われるようになり、帰る時間が更に数時間遅くなることになってしまいました。
 驚いたのはこの男女の二人の技術者で私よりも帰るのが更に遅く、いつ寝ているのか不思議でした。
岡先生、田辺カントリー 3人
岡先生と奥様と娘さんです。

 ここでも、岡先生の教えの「今やっておくべきことは何か」は生きていました。まず、その時やっておくべきことは、この新しい技術の可能性を放送局の他の部署のスタッフに知らせることで、これらの技術を使った番組が放送され、その成果が出てくるのは、もっと先になるが、一つの成果が出る前に、この技術の存在を知らしめる事だと、直感しました。

 それからはその放送局に日参して啓蒙活動に集中しました。



星名理論と岡理論 57 戦略の実施順序と時間配分  9

Rudyという弁護士が主人公の映画「レインメーカー」

 ルディに教えてもらったものは一人の男としての生き方だけではありません。Rudyと言う名前が気になり、レンタルビデオで見た「涙のウイニングラン」の原題は「Rudy」で、思わず借りて見てしまいました。アメリカンフットボールの実話の映画で素晴らしいものでした。
 詳しくはこちらから

 その後また「Rudy」という名前の主人公の映画「レインメーカー」を見てしまいました。
 ジョン、グリシャムの原作の「原告側弁護人」、フランシス・フォード・コッポラ監督、マット・ディモン主演の法廷物ものです。
 レインメーカーの詳細はこちらから

 それまで映画やテレビでサスペンスはよく見ていたのですが、法廷物はあまり見たことはありませんでした。以後は法廷物も好きになり、テレビもよく見るようになりました。

 その後裁判を経験することになり、法廷物を見るようになったことが非常に役立ちました。
 自分が原告としての初めての裁判で、証拠がなく、勝てる見込みがないので、なかなか弁護士が見つからず、弁護士なしで裁判をする本人訴訟となってしまいました。

 星名先生の真逆の発想で、証拠がなければ作れば良いと思い、内容証明の手紙を送り、争点を書証として残すようにしました。そのやりとりをしているうちに決定的な証拠が見つかったのですが、それは隠して、手紙のやり取りを続けました。

 ここでも星名先生と岡先生の戦略の時間配分と実施順序は有効でした。
 
 私は、ラグビーの試合と同様に、この裁判の全体像をイメージし、勝つためには、どういう順序でこれらの証拠を出すべきか、色々考え、最も効果的なこの決定的な証拠の出し方は、裁判の終盤の証人尋問の時に、突然決定的な証拠を出すのが一番効果的だと思い、それまでの準備書面(裁判の時、自身の主張や相手への反論などを書いた書面)のやりとりなどは、この時に、利用できる証拠となるように組み立てていました。

 裁判長は若い女性の判事でしたが、非常に公正に審理を進めていました。準備書面のやり取りとそれまでに提出していた証拠では、私の主張が事実であるとは感じていたようですが、決定的な書証は、まだないので、どのような判決にすれば良いのか、迷っている感じでした。
 何度か和解を進めてくれたのですが、相手の提示額があまりに低く、私が応じなかったので、困っている様子でした。

 この証人尋問の時提出した証拠で、私の主張が真実であると確信したようで、裁判長の職権による和解として、私に非常に有利な条件で、結審しました。 
 
 星名先生の天動説の時代に地動説を説くような、全く真逆のような発想で、岡先生の、戦略の実施順序とその時間配分は、裁判と言う場で、証拠がなくてプロの弁護士が引き受けるのを嫌がったケースで、全く裁判の素人の私が弁護士のつかない本人訴訟で勝利するような結果をもたらしてくれました。

 ルディのおかげで、法廷物のドラマを見るようになり、少し裁判についての知識ができていたおかげです。
ルディとホットドッグ

 

星名理論と岡理論 58 戦略の実施順序と時間配分 10

民事裁判での本人訴訟。

 刑事裁判はどうか知りませんが、民事裁判では資格のある弁護士に依頼しなくても、原告本人が弁護士なしに訴訟することもできます。1番の問題は証人尋問の時に、尋問してくれる人がいないので、裁判官に尋問してほしい内容を手渡し、尋問してもらい、それに対して証言することになります。

 私は2回、本人訴訟を行い、2回とも和解でしたが、勝訴と同じぐらいの条件で和解しました。裁判の結果は裁判官次第だと言うことを実感しました。
 最初の裁判官は若い女性で、途中で転勤で変わりましたが、次の若い女性の裁判官も公平に審理を進めてくれて、和解をしました。

 2度目の本人訴訟は酷い裁判官に当たりました。若い裁判官で、被告側の弁護士とは同年代の顔馴染みみたいで、誰も傍聴人はいないので、法廷で弁護士と「あの件はどうしますか?」などと、雑談すると言う酷い状態でした。これはもう、勝つ見込み全くないと思い、決定的な証拠の会話の録音テープは控訴用に残しておきました。

 証人尋問もひどいものでした。私が渡している尋問してほしいことは何も聞かず、私の主張を否定するような質問ばかりでした。相手側の証人も私が録音テープを証拠として出していないので、好き勝手に証言していました。当然私の敗訴で判決文も、出鱈目なひどい物でした。

 私はすぐ控訴し、また証人尋問で偽証した相手の担当者を、裁判での彼の偽証で敗訴し、損害を受けたとして損害賠償を求めて、新たに提訴しました。

 1回目の口頭弁論で裁判官と大喧嘩です。
 裁判官が「偽証を争うのであれば、元裁判で一緒に争うべきだ。訴訟を取り下げろ」「裁判官がええかげんだから、新しく訴訟を起こした。それが気に食わないのなら、判決書を書け。判決が不服だったら、当然控訴する」「裁判はこれで結審する」
 初回の口頭弁論で、裁判官と原告が喧嘩をして結審すると言う、おそらく誰も経験したことのないような結末です。これは相手側弁護士には相当インパクトがあったようです。
 こんな気狂いみたいな原告との裁判は早く終わりにしたいと思ったようです。

 最初の裁判の高裁での控訴審の初回の口頭弁論で、高裁の裁判官がいきなり和解を提案してきました。一審の判決文が酷いし、私が決定的な証拠の録音テープがあることを記載してあるし、私の狂気が尋常ではないので、早く決着したいと思ったようで、非常に良い条件が提示されたので、和解となりました。

 この時も岡先生の戦略の実施順序と時間配分の教えは効果的でした。
 ラグビーの80分間の勝負で、前半は点数には拘らず、後半の勝負に向けての布石となるようなプレーを沢山しておき、勝負時に自分達の得意なプレー全て出す、と言うものです。
岡先生 グランドの写真

 地裁の裁判官の酷さを初回から感じていたので、今回は高裁で勝負と決めていました。だから決定的な証拠は地裁では提出していません。最初の女性が裁判官の時には勝負時は証人尋問の時、と決めていたので、それが決め手となりました。今回は地裁の酷い裁判官に証拠を提出しても、負けることは決まっているので、決め手の証拠は出しませんでした。
 
 決め手となる証拠は出していないので、地裁の裁判官は証拠がないので、控訴はしないだろうと思ったのか、酷い判決文を書いていました。結果的には、全て私の読み通りに展開し、和解ですがほぼ想定通りの結果でした。

 30年ほど前の話ですが、今の日本の司法はあの時以上に腐り切っていると思っています。
 一人一人がもっと声を上げることが必要だと思っています。



星名理論と岡理論 59 受動的思考から主体的思考へ 1

 このブログを始めて、星名先生と岡先生のラグビー理論を書いているうちに色々気づいたことがあります。

 自分の生き方や考え方にまで星名先生と岡先生に大きく影響されていたことです。

 今までは自分の人生を振り返ることもなかったのですが、このブログで色々過去の出来事を書いている内に結果的には人生を振り返ることとなり、お二人に大きく影響されていることを思い知りました。

 ラグビーというスポーツの本質的な素晴らしさと、同志社の「倜儻不羈(てきとうふき)」という優れた教育理念を持った学校で、星名先生と岡先生にラグビーの考え方を教えていただいた結果、生き方まで影響を受けた様に感じています。

  同志社、ラグビー、星名先生、岡先生 このどれか一つでも欠けていたら、私の人生はつまらないものだった様に思います。

  岡先生講演録 「教わり、教え、教えられ」の一節です。こちらからご覧になれます。

形のないのが同志社の形 
 倜儻不羈(てきとうふき)」という言葉は岡先生の「教わり教え教えられ」を読んで始めた知った言葉です。同志社の学生に求められていたのは、「信念と独立心に富み、才気があって、常軌では律しがたい」ものだった様ですが、私にあったものは、最後の「常軌では律しがたい」だけだった様です。

 私は感情の赴くままに直感的に行動していたと感じていました。ラグビーの試合中だけでなく、ビジネスの世界でも、慣習や前例など一般常識を無視して、普通の人では思いもつかないようなことばかりしていました。

 ラグビーのような、自由と変化が基本のスポーツで、戦況が瞬時に大きく変わるのに対応するのに、私は直感的に突飛なプレーをしていましが、それが星名先生と岡先生の指導を受けたことにより、受動的な対応から主体的な対応に変わったことで、論理的な戦略的な発想になった様に感じています。

 具体的には「アタックの時、ディフェンスがこの様に出てくれば、この様に対応しよう」と言う、受動的な思考から、「私がアタックでこの様に出ていくことで、ディフェンスが、私の出方に対応するため、私の意図通り動かなければならない様にする」と言った主体的な考え方に変わりました。
 そして、その様なプレイを試合時間の80分間の中で、どの様な順序で組み立てていくか、戦略的な発想ができる様になりました。

 星名理論と岡理論を「受動的思考から主体的思考」をテーマに書いてみようと思います。



星名理論と岡理論 60 受動的思考から主体的思考へ 2

受動的な思考のイメージトレーニング

 私は同志社高校に入り、初めてラグビーボールを触りました。中学まで何もスポーツはしたことがなく、父がラグビーをしていたため、一緒にテレビを2−3度見たことがあるだけで、ラグビーのことは何も知りませんでした。
 他の選手は全員、同志社中学からラグビーをしていて、15人しかいない選手で、私はただ一人のポジションさえ決めてもらえない補欠の選手でした。試合になると15人必要なため、体を壊して練習をしていない、マネージャーが試合に出ていました。

 そんな私が3月に日本選手権で社会人を破って優勝し、日本一になった同志社大学の1年生の時のシーズンから、世界のラグビーのレジェンドの当時4年生の坂田さんとコンビを組んで試合に出るほど、急成長したのはイメージトレーニングにあります。

 体力は急成長するわけもなく、練習についていくのが精一杯だったのですが、寝る前に毎日、アタックの時に相手を抜くにはどの様にしたらよいか、イメージトレーニングを繰り返しました。

 その時のイメージトレーニングは受動的なもので、敵のディフェンスがどの様に出てきたら、どの様にしてそれを躱すか、躱して突破したら、どの様なコースを走り、フォローしてきた味方の選手にどのようにパスをして繋ぐか、そればかりでした。
 イメージしたことを実際の試合や練習で試し、さらにそれを見直すことばかりしていました。
 毎日イメージトレーニングを繰り返していたので、大学の1年生の頃には、受けた瞬間にタックルされることはほとんどなく、その後の走りとパスのタイミングもイメージトレーニングとあまり狂うことはありませんでした。

 でも、これらは全て受動的な思考からくるもので、相手の動きにどう合わせるかが焦点で主体的な思考ではありませんでした。

  大学2年生の春、星名先生と出会いました。
星名先生一人
 星名先生の教えは、全く真逆の発想でした。「相手の動きに合わせるのではなく、自分の動きに相手に合わせさせる」という主体的なものでした。
 天動説の時代に全く真逆の地動説を初めて聞いた様な驚きでした。

 タックルにくるのは相手なので、相手の出方を予測できたとしても、相手が私の予測通りに動いてくれるかは、相手次第で、私にはそれがコントロールできないと思っていました。
 しかし、ルールをよく理解すれば、相手をコントロールすることも可能なことを教えてもらいました。

自分で考え、責任を持つ
 上は 岡先生 「教わり、教え、教えられ」より

 その主体的思考の方法とは?




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