娘のまり子さんからもらった岡先生の写真
指示をしたのは勿論温厚な岡先生ではなく、フォワードのスクラムのコーチとして岡先生を支えた同志社高校の先輩、松尾さんで、また指示もあのような悪質なものではなく、同志社高校の夏合宿でした。
松尾さんは同志社高校の監督もしていて、夏合宿には私達OBも参加するのがしきたりでした。 午後の練習の前、松尾さんに呼ばれ「今日は試合に出てもらうから」と言われました。一緒のグランドで練習している大学のチームの監督から練習試合を頼まれたそうです。「相手には初心者が多く、試合は負けることはないけど、非常にガラの悪いチームで、監督はサングラスをして竹刀を持って選手をしばきまくってる。選手も不良みたいな風体した奴らばかりで、中には図体のでかいやつもいる。試合が荒れて、うちの選手にけが人が出たら困る。試合が荒れたら、お前を選手として出すから、タックルで相手を黙らせろ」
松尾さん(故人)は豪快な人でした。40歳近い時、同志社大学の1軍の選手とスクラムをスパイクを履かず、裸足で組んで教えていました。高校生の私達にビールを飲ませたり、スナックバーに連れて行ったりで、今の時代だと大問題になるような人でしたが、大好きな先輩でした。
「素人をタックルで黙らせるぐらい、私でなくても、もっと若いOBがいるのでは?」と、言ったのですが、「他の奴らは体が大きくて高校生には見えへん。お前なら痩せて細いからユニホームを着たら高校生でも通る」と言うことで試合用のユニホームを持って、「タックルで黙らせるには、どうすれば良いのか?」、と考えながらベンチの横で見ていました。
でも試合は高校生が荒々しく圧倒して、幸いにも私の出番はありませんでした。
それから数年後、社会人になり丸紅でラグビーをやらせてもらっている時、タックルで相手を黙らせてしまいました。
作家の野坂昭如さんがアドリブクラブというラグビーチームを作って素人ラグビーを楽しんでいました。私の友人がそこのメンバーで、ある日丸紅の試合が終わった後、アドリブのゲームでメンバーが足りないかもしれないので、来てくれと頼まれました。友人が車で送り迎えしてくれるというので行くことにしました。でもなんとかメンバーが足りたみたいで、前半は私は見るだけでした。
後半になって出て欲しいと言われて、バックスでは目立ちすぎるのでFWでということでナンバーエイトをすることにしました。
モールやラックで目立たないように参加していたのですが、その度パンチを食らったり髪の毛を引っ張られたり、蹴られたりでだんだん頭に血が上ってきました。
最初は偶然かと思っていたのですが、よく見ると私に仕掛けているのは相手の結構大柄なナンバーエイトで、私が痩せて細く、後半から出てきたので、初心者の選手だと思ったみたいで、私だけを狙っているみたいでした。
その選手は色々他の選手にうるさく指示をしていたのでラグビーの経験者かもしれません。その選手がスクラムサイドをボールを持って走ってきたので、思い切りタックルに入り、担ぎ上げて地面に投げ捨てました。
その選手はそのまま退場し、試合は再開されましたが、誰も声を出すことなく急に静かな試合になってしまいました。その時、松尾さんに言われたことを思い出し、「相手を黙らせろ」ということは、こういう事かと納得しました。
コンタクトスポーツには危険がつきものです。その危険をできるだけ避けるためにルールがあると思っています。
日大の話を思い出す度、同志社で、岡先生の指導でラグビーをして良かったと思っています。
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