坂田さん、小笠原さんと近鉄でプレーしていたレジェンドが続いたのですが、もう一人レジェンドで石塚さんがいます。石塚さんは同志社が第1回日本選手権で優勝した時のキャプテンで、日本代表のキャプテンでもありました。石塚さんの弟が私と同期で一緒にセンターを組んでいたので、石塚家のファミリーとは非常に親しくさせていただきました。
石塚ファミリーについてはいろいろ書きたいことがあるので次回に回して、今回は目がテーマですので、石塚さんが一番恐れていた人、同志社が日本選手権の前身、NHK杯で優勝した時のキャプテン、中得四郎さんの話です。
大学2年の終わり春休みにニュージーランドへ遠征しました。写真前列一番右が石塚さんです。その左は宮地さん、その左は金野さん、私は7番目で横を向いています。
その時、石塚さんと話す機会があり、石塚さんが成長したのは中得さんのお陰だと言われました。
理由を聞くと、中得さんのプレーが激しすぎて、怖くて、敵として闘いたくないので、早く一軍になりたくて必死に練習したということでした。
私も1年生の時に中得さんに凄まじいタックルをされたことがあるので、思わず納得してしまいました。
秋も深くなり、AチームとBチームの練習試合があったのですが、練習を見に来ていた中得さんがBチームのナンバー8に入り試合をしました。試合終了間際、ラックサイドを抜こうとして走り込んだ私は中得さんの強烈タックルをうけ、2メートルほど横へ跳ね飛ばされました。
私はボールを持って抜きに入った時にタックルされたのは大学時代4回だけで、全て誰にタックルされたのか覚えています。
真横に飛ばされたのは中得さんの頭が私の腰骨の尖ったところにあたったからです。中得さんの頭がざっくりと割れて血が噴き出していました。頭が当たったところが腰の骨の尖ったところだったので、衝撃が中得さんの頭の方にいき、私は反動で真逆の方向に跳ね飛ばされましたが、少し当たる場所が上下にずれていたら、私は大怪我をしていたと思います。
試合はそこで終わりになり、中得さんは救急車で運ばれましたが、顔中血まみれなのに、笑っている中得さんの目を見た時には、本当に怖いと感じました。
シャワーを浴びる時に気づいたのですが、私の腰骨の尖った部分の皮膚が擦り切れたようになって出血をしていました。
これ以後中得さんは私のことを気に入ってくれたみたいで、よく声をかけていただきました。その時の目は普通で優しい人のように感じたのですが、ラグビーの試合になると人が変わるみたいです。
でもラグビーはそれが当たり前だと思います。
目の話になると、私にはどうしても話さなければならない奴がいます。私がタックルされた4人の一人はメチャこと同期の渡辺脩です。4年生の時の秋の部内試合、相手のキックを受けた私は十分間合いがあるのに、メチャにタックルされました。
これを見た岡先生が「ウラ、どうした。お前がボールを持ってタックルされるのはあまり記憶がないが」「抜く時に相手の目を見るのですが、どこに目があるかわらず、探しているうちにタックルされました」と答えると「お前らしいひねくれた言葉や」と言って大笑いされておられました。
実際は目のある位置はわかっていたのですが、私の目を見ず、足首しか見ていないので動揺したものです」
素晴らしいタックルでした。
中得さんは昨年、石塚さんは今年、永眠されました。
お二人の安らかなご永眠を心よりお祈りしています。
坂田さんと石塚さん この時の坂田さんの目を見て、坂田さんの試合中の目の強さを思い出しました。
この写真と上の写真とその下にあるジャージは石塚さんの棺の中に納められたとのことです。
追加
坂田さんのニックネームを「デメ」と書いてしまいましたが、これは私の学生時代で現在は世界中で「デミ」と呼ばれているとのことです。
下の写真のデータを見て気づきました。お詫びします。
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