岡先生は選手を叱る時、いつ、どのような時に、どのような怒り方をしたら良いのかいつも考えておられるようでした。
まず、NPOのヒーローズの会長の林敏之氏と日本ラグビー協会会長の土田雅人氏の対談の動画をご覧ください。
コチラからご覧になれます。
時間のない方は「岡先生の指導」の部分だけコチラからご覧になれます。
ラグビーのことを知らない方のために簡単に林氏の略歴です。
林敏之(愛称、ダイマル)、日本のラグビー界のレジェンドの一人、同志社、神戸製鋼を日本一にして、イギリスのオックスフォード大学に留学、歴代のベスト15に選ばれ、ラグビーの世界選抜、バーバリアンズにも選ばれたこともある。詳しくはウィキペディアをご覧ください。
コチラからご覧になれます。
この動画に出てくる3選手、林、土田、平尾は日本を代表する選手です。その選手を叱る時、岡先生はどのように叱ったかがよくわかります。
岡先生は感情に左右される人ではありません。いつも冷静に、選手の叱り方、叱る時を考えておられるようです。
私も一度だけ叱られたことがあります。大学4年生の時の春の京都市役所との練習試合です。当時の京都市役所は同志社からの選手も多く、また、スクールウォーズのモデルとなった日本代表の山口さんもいて、非常に強かった時代です。この試合は岡先生自らレフリーの笛を吹かれておられました。
私はディフェンスにも自信を持っていたのですが、相手には私の事をよく知っている先輩が多く、私のマークの選手にはボールを持たせません。FWも圧倒されていたのでアタックも良いボールが回ってきません。ボールを持つ機会があったのですが、大きく突破するのは無理だと思ったので、内に入ってFWの選手にボールを戻しました。
突然、岡先生が「浦、痛いラグビーはやらんのか」と言って怒り、試合を止めて、両チーム見ている前で、私に生タックルの練習をさせました。この瞬間頭の中が真っ白になり、寒気がして体が震えたのを覚えています。
ゲームが再開されたのですが、相変わらず私の対面がボールを持つ機会がなく、タックルもできません。どうしてもこの怒りをタックルで相手にぶつけたい私は、私の隣の選手の対面にタックルすることにしました。その選手は同志社大学の2年先輩で私が1年生の時、一緒にセンターを組んでいた玉田さんでした。
玉田さんの動きはよく分かっていたのでボールを持って走っていくコースが予測できたので、そこに向かって最短距離を全力で走って行き、加速をつけて思い切りタックルしました。こんな激しいタックルをしたのは初めてのことだと思います。
この時のタックルを受けた玉田さんと、私が卒業してから数年後、夏合宿で話をする機会がありました。
「少し早いけど、引退する。お前の所為や。首がおかしくなった。ムチウチは後ろからぶつかられて、頭だけが残って、身体が前に動いて首を痛めるけど、全く逆で、前からぶつかられて、身体だけが後ろに持っていかれて、首がおかしくなった。痛みは大した事はない。自分の対面の動きは見えていたが、まさかその外側のお前があんなに早くタックルに来るとは思わなかった。それがトラウマの様になり、前に思い切って出ることが出来なくなり、思うようなプレイが出来なくなった」
勿論私を非難する様な口調ではなく、褒めてくれている様子でした。
京都市役所との練習試合の数日後岡先生から呼ばれその時の話をされました。「お前が悪くなかったのはよくわかっている。しかし、試合の流れを変えるのには無茶をやることが必要だった。俺は上級生しかあんな怒り方はしない。お前の同期はみんな性格のおとなしい奴ばかりで、俺が怒るとみんなシュンとして落ち込んでしまう。怒られて気が狂ったようになって無茶をするのはお前しかいない。お前のタックルで流れが変わって勝つことができた。今後も怒られ役になって欲しい」との事でした。
私は自分より力の上の相手や、悪い試合の流れを断ち切るには、通常の判断ではなく、狂気のような、大胆な慣習にとらわれない発想が必要だと教えられました。
おかげで、その年の秋の京都市役所戦には勝つことができました。
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