星名先生の「極端に浅いアタックライン」はタックルポイントをアタックする側が決めると言う主体的な思考によるものです。タックルポイントはタックルする側(ディフェンスする側)が決めると言うのが常識でした。
岡先生は前提となっている常識みたいなものさえ疑って、既成の枠にこだわらない、自由な発想を持っておられたように感じました。岡仁詩先生の自由な発想などは星名秦先生の影響が大きかったと思います。
岡先生講演録「教わり、教え、教えられ」では次のように書いておられます。
自分で考え、判断して、行動し、責任を持つ
星名先生からいろいろなことを教わりました。今はルール上、スクラムは八人でしか組めませんが、当時のルールでは十人でスクラムを組んでもいいのだよと。スクラムの強さが試合を大きく左右することから考えられたのですが、私たち(学生時代)には、全く思いもつかないことで、驚きでした。要するにルールをよく理解すれば何でもできる、決められた形はないということです。
「ラグビーはフォワード戦に勝たなければ試合に勝つことはできない」と考えていた岡先生は特にスクラムにこだわり、10人でスクラムを組むことを考えられました。それだけでなく、フォワード戦を有利に戦うために、徹底的に敵のフォワードを疲労させる時間配分まで考えられました。このような発想は主体的思考になって初めて可能となるものです。
これを最初から考えていたのかどうか知りませんが、バックスに二人のフォワードの選手を使っていました。
ナンバーエイトの石塚がセンターでフロントローの西村がウイングです。どちらも私と同期で1年生から試合に出ていた選手です。当時の同志社はフォワードに優秀な選手が多く、怪我人が出てもメンバーの交代はできないので、ポジションにはこだわらず、最強のメンバー15人で戦うことを考えておられたようです。
このフォワードのプロの二人がマイボールのスクラムに参加して、すぐにボールを出さずにスクラムを押し続け、そしてスクラムサイドを攻撃します。これをAアタックとして20分間ほど続けます。相手の意識がフォワードに集中した頃を見計らい、今度はBアタックとして徹底的にバックスに回します。
相手のフォワードを疲労させるために、相手フォワードの後ろにキックをして味方フォワードを前に走らせるのと、フォワード周辺へボールを集めて勝負するAアタックを実践するためにはバックスにボールが回ってきた時、相手のディフェンスの出方に合わせて動くのではなく、主体的に内側のフォワードに近い所に走り込むことが必要です。
フォワードも事前にそのことを知っているので、それに対応した走りで無駄なくボールに絡むことが出来、攻撃を続けることで優位に戦い続けることができるものです。
相手のディフェンスの出方に合わせる受動的思考では効果があまりありません。
PERTでは各工程を「前の工程が終わらないと次の工程が始められない」という依存関係に従って矢印で繋いでいきます。
そのため、「Aアタックでフォワード戦を中心に戦い、相手フォワードの体力を消耗させてしまっておく」完了形を意識しました。
写真中央で立っているのが私です。
岡先生の指示は図の様なものでしたが、実際の大学選手権での日大との試合では、AアタックとBアタックの切り替えの時間は、状況判断で私に任されていたので、私は前半Aアタックを30分間続けてBアタックを10分で終え、後半はAアタックから開始し、日大のフォワードが疲労で動きが遅くなったのと、リードされていたので10分ほどでCアタックに切り替え、新聞の記事にあるようにすぐにトライを取り、逆転し、その後はフォワードが圧倒して試合に勝ちました。
詳しくはこちらの星名理論と岡理論 33 戦略の順序と時間配分 7をご覧ください。
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