2022-08-21

京大ラグビー部100周年誌デジタルコンテンツ 2

  「星名秦の遺産①スイングパスの威力とは」のYouTubeの動画を何度も見て、星名先生の指導を受けた時を思い返しています。星名先生が考えられていたのはこの京大の動画のなかで語られていた通りでした。

 
 私は右センターで左センターは私の同期の石塚で、彼は元々フォワードの選手で1年生の時から試合に出ていたほどの選手でした。体はデカくて足も早くて、パスもうまいのですが横へ走るのは得意ではありませんでした。
 星名先生の極端に浅いアタックライン(京大ではスイングパスと呼んでいたようですが)でキーとなるのはインサイドセンターで横へ走るスピードが求められました。
 そのため、数日で私はインサイドセンターに固定され、そしてインサイドセンターで突破することに決められたようです。
 この京大の動画で話されていたことは全て正しいです。浅いアタックラインでまっすぐ出て、すれ違いに抜いて、ディフェンスの裏に出る。重要なのはパスのタイミングです。
 この話に出てきた中村孝太郎は私と同じ歳で、彼は京都の鴨沂高校出身で石塚や宮崎(京大)と一緒に全国大会に京都で優勝して花園に行った選手です。
1年京大戦記事のみ


 この頃の京大は非常に強かったです。私が4年生の時の試合では、前半圧倒され、後半なんとか逆転しましたが、負けるところでした。流れを変えたのは宮崎のトライを止めた、私の常識を外れたタックルでした。宮崎は永眠する少し前に、私と会った時「お前のタックルがなければ京大は同志社に勝っていた」と私に話しましたが、私も同様で、あの時、宮崎にトライをされていたら、後半に同志社が逆転することはなかったと思います。
 この時の話はこちらから

 京大の宮崎、中村、和田(元日本ラグビー協会副会長、和田文男さんの弟)など、皆同じ歳で練習も一緒にしたこともあり、皆高校は京都でした。両校とも星名先生、岡先生の指導を受けて同じようなラグビーをしていたので一緒にプレイをするのは楽しみでした。
 丸紅で中村孝太郎と一緒に一緒にプレーした時も楽しかったです。
この時の記事はこちらから

 最近の京大は大学に入ってからラグビーを始める人が多いようですが、4年間ラグビーをすれば、ある程度のところまではできるようになります。私は高校まで何もスポーツはしたことがなく、同志社高校で初めてラグビーを始めた時は15人しかいない選手の中でただ一人のポジションさえ決めてもらえない補欠でした。
 しかし4年後の同志社大学の1年生の時には前年度、日本選手権で優勝した時で、坂田さんとコンビを組んで試合に出してもらっていました。真面目に練習に取り組めば、それぐらいの成長はするということです。 

 ここ数年、同志社も京大も良い戦績ではないようですが、星名先生、岡先生のラグビー理論の凄さをもう一度見直し、両校がまた関西リーグで戦うような試合を見たいと思っています。

 京大100周年、星名先生のエピソードはこちらから
 和田さんのインタビュー 2でご覧になれます。
 

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